nakanakadekinai's diary

単なる日記でもなければ、単なるエッセイでもない

親子の風景

部屋でトリスハイボールを飲んでいたら頭が痛くなって、二時間ほど横になっていた。

なんとか這い上がって煙草を吸ったのだが、極端に喉が渇いていることに気づいた。

コンビニへ行く途中に中華食堂がある。

そこへ入ってしまった。

瓶ビールと焼きそばを注文した。

喉を潤し、腹を満たして千ベロ。

私はテーブル席に座っていたのだが、小上がりには親子が。

ラーメンと餃子を注文していた。

その光景がなんとも微笑ましく感じて、しばらく眺めていた。

一杯のラーメンを分け合っている。

どうやら娘さんがこの店のラーメンが気に入った様子。

私と同じ歳くらいのお父さんは、足りない様子で餃子を食べていた。

私は店を出た後、店外に設置してある灰皿の前で煙草を吸っていた。

自由である自分にエールを送りながらも、子供がいたら今頃大きくなっていたんだろうなと考えた。

中学生くらいになっていたかも知れない。

中学生の息子と二人でラーメン屋で一杯引っかけるというのも悪くないよなと。

しかし、私は母親としての人生ではなく女としての人生を選んでいたことだろう。

そうした時、子供を幸せにすることはできたのだろうか?

ともあれ、今が不幸なわけでもない。

旦那を捨て、子供もいない私は一見すると不幸に見られがちだ。

金も名誉も地位もない。

だけど、私って幸せなんだよな。

なんで?って言われたら、自己信頼に繋がるのだが、何も持たないけれども満たされている。

私が上京した時に太平洋と富士山さえあれば無敵だったようにね。

ぶっちゃけ今は『ロックンローラー』さえあれば私は無敵なのである。

勝負できるからだ。

だけど、振り返ってみて、子供が一人くらいいても良かったかも知れないなと思ったりもする。

もう、時すでに遅しだけどね。

 

 

今年の冬、四十三歳になる私はよっぽどのことがない限り、子供を産むことはないだろう。

しかし、天から授かったら産むしかないよね。

そういう相手がいるわけではないけれど、中華食堂で親子を見て、なんとなく羨ましくなったのかも知れない。

天は二物を与えずだから、私は自分の将来に託すのみなのだが。

勿論、この歳になったからこそそんなこと考えるのであって、若い頃は自分が母親になるなんて考えられなかった。

私の友達の多くは子を持つ親である。

私は若い頃やりたい放題遊び放題だったにもかかわらず、そんな私と親しくしてくれる。

とある人に言わせれば、悪びれていないとのことだが、どうして私は天から許されたのだろうかと思ってしまう。

自分の欲望に忠実に生きることは、果たして正しいのだろうか?

私の場合は、真実の愛を探して、探して、探しまくったというのが答え。

未だに見つからないけどね。

私のことが好きな人がいたとしても、私の何が好きなのかわからない。

私は基本的に、私のことを好きになってくれる人のことを好きになるのだが、どこが好きなのかは重要だ。

何度も言っているが、オープンマインドでフットワークも軽いので、誤解されがち。

本当は極めて傷つきやすく、脆く、頑固で、生意気なんだけどね。

 

 

まぁ、子供がいない私は十年以上疎遠だった両親の前で精一杯子供になる。

とはいえ、母さんの前では私の方が大らかで、大人だったりするのだが。

考え方や性格が真逆なのだが、今更衝突もしない。

こっちが「ハイハイ」って合わせていればいいだけの話。

その辺はお互い様かも知れない。

悪いが、私は綺麗ごとが嫌いだ。

傍から見て親不孝者で全く構わない。

親が生きている限り、幼少時代の分返上で可愛がってもらおうと思う。

そして私も精一杯の愛情を注ぐ。

怖がって私の著書を読まない両親。

だけどせめて私がスーパーポジティブ人間であることくらいはわかって欲しい。

そのポジティブさは経験に裏付けたものであるとね。

ただ能天気なだけじゃないと。

ではでは母さんとちょっくら旅行へ行ってくる!