nakanakadekinai's diary

単なる日記でもなければ、単なるエッセイでもない

無邪気でいられること

いや~、久々にいい打ち合わせができた。

心地良い達成感と解放感から、ボロネーゼを作って食べ、酒が飲みたくなったのでコンビニまで歩いた。

お馴染みのトリスウイスキーと炭酸水と氷を買って買ってきて、ハイボールを一杯やっつけたところである。

いい仕事の後の酒は美味い。

酔って眠たくなる前に、これを書き終えることにしよう。

久々にスライダーズを聴いている。

 

 

今週の後半は、母さんと箱根温泉へ旅行してくる。

初日は新宿のホテルに泊まって、朝一で箱根までバスで移動。

一泊して美味しいものを食べて、温泉を堪能して、美術館へ行く。

翌日はランチで海鮮物を満喫し、北千住まで戻ってきて、その辺の居酒屋で夕飯を食べて解散するという予定。

めっちゃ楽しみだけど、意外と疲れてしまわないかが心配である。

せめて小雨程度で大雨は免れたい。

私ときたら、また母さんとお別れの時に泣くのだろうか。

大体、この世であと何回母さんに会えるだろうか。

母さんが北千住のバス停で、羽田空港に向かうバスの中から私にピースサインをしたのが忘れられない。

窓越しにずっとピースサインをしている母さんを見て、私は今にも号泣しそうだった。

とてつもなく愛おしく思えたからだ。

そして、今まで母さんに寂しい想いをさせてしまったことを後悔したりした。

今回の旅行のあとは、一月の沖縄が待っている。

祖父母の三十三回忌なのである。

母さんが元気なうちに、少しでも会いたいものだ。

私としては、こんな親不孝者ではあるけれども私の母さんになったことは幸せだったのではないかと思っている。

出来の悪い子供ほど可愛いというのが本当だとしたら、間違いない。

私にはよくわからないが、ベッタリ一緒にいるだけが親孝行とも限らない。

誰かさんみたいに某有名大学を卒業してエリート街道、今では社長になっていても根性曲がったヤツもいる。

そういうヤツは親孝行したと言えるのか?

私には子供がいないからなんとなくしか親の気持ちがわからない。

親って、社会的に優秀な人に育って欲しいのか、心が汚れていない人に育って欲しいのかどっちなんだ?

両方とも大切なことなんだろうが、あいにく私の場合心は汚れていないが社会に適合できない人間になった。

 

 

しかし、最近思うことがある。

私ほどの社会不適合者も珍しいのではないか?

 

「天は自ら助くる者を助く」

 

マジで私が必死に天に助けを求めているので、それに応えてくれるような気がしてならない。

私がもし母親だったら、私みたいな娘がいたら嬉しいだろうなと思う。

なぜなら、私は自分のことをこよなく愛しているからだ。

それって結局三つ子の魂百までなのではないかと思う。

幸い、私は五歳までとてつもなく愛されて生きていた。

だからきっと、その後難題が降りかかって来ても乗り越えられて、心が汚れることがなかったのではないか。

つまり、今に至るまでは色々親子問題はあったが、五歳まで精一杯愛してくれた母さんや祖父母には本当に感謝しなければならないということだ。

勿論生まれ持った、先天的な明るさもあるのかも知れない。

しかし、輝く太陽と青い海と空の下でどこまでも無邪気でいられたあの頃を忘れない。

捻くれる余地がまるでなかった。

それは大人になった今でも普遍的なものになりつつある。

私が求めていたものは孤高の花ではなく、輝く草原に咲く花なのだ。

「輝く草原」って一体どこにあって、どんなものなのか。

それを追い求めることが私のテーマでもあった。

最近の私は、無邪気でいる最大のコツは、こちらから心を開くことだとわかった。

心を開いてくれた相手に対し、十倍心を開くこと。

そうすれば知らず知らずのうちに信頼関係ができて、無邪気になれる。

そんなことを確信したのである。

私が無邪気でいればいるほど、人々に安心感を与え、私は「輝く草原」に辿り着けるようになるというわけさ。