パソコンの隣に鏡を置いた。
百円ショップで買ってきたのだ。
だからチラチラと鏡を見ながらこれを書いている。
日に焼けた顔が嫌だ。
だからファンデーションを塗るのだが、どうやら化粧をするたびに吹き出物が出るようだ。
やれやれ。
酔い潰れて、ファンデーションを塗ったまま寝てしまうことがあるからかも知れない。
せめて化粧を落とす余力は残しておかないと。
先ほどまで、仲良くなった友人と長電話をしていた。
なぜ、ここまで心が開けるのかが不思議なくらいだ。
一時間だけと言ったものの、気づけば四時間近く話していた。
どうやら相性がいいようだ。
歳の差はあるのだが、それを感じさせない何かがあった。
私は基本的には誰にでもオープンマインド。
かといって、誰にでも何でもかんでもベラベラ話せるわけではない。
だからとても貴重な時間だった。
話しませんか?と声を掛けてくれたことにリスペクト。
心から感謝している。
我が家に残っていた酒は日中全部飲んでしまった。
飲み過ぎて横になったら寝てしまっていたので、久々にシラフの夜である。
生活水準を落とさなきゃと思いながら、酒も煙草も相変わらず止められない。
しかし、私って本当に飲みたくて飲んでいるのか、飲兵衛キャラを演じているのか、ふと立ち止まると疑問だった。
太宰治が太宰を演じていたように、私は橋岡蓮を演じているのだろうか?
だとしたら、そんなこと誰も喜ぶ話ではない。
私としては、単に酒に溺れているだけのような気がしてならない。
夜勤明けで飲んでいる人を見ては、私も一緒になって飲みたくなる。
予定のない日は朝から飲んで昼寝している。
すると、身体が随分と楽になることがわかった。
勿論酒無しでは昼寝はできないので、変な言い方をすると朝酒は身体に優しいのだと思ってしまう。
これだから、私は心の汚れていないクズと呼ばれるのである。
それにしても、なんだか腹の中に溜まっていたものを友人に吐き出すことができて、めちゃくちゃスッキリした。
こう見えて、女性読者が多い私だが、女友達はさほど多くはない。
だからとても清々しい気持ちである。
女にしかわからないであろう微妙な心の変化やすれ違いについて語ることができた。
そして私が描くビジョンについても伝えられた。
今はまだ妄想段階なのだが、いつか必ず現実のものにしてやろうと思っている。
とはいえ、蓮ワールドを広めることについては大苦戦している。
そこで気づいたのだ。
私が頑張って広めるものではなく、自然と広まっていくものなのだと。
私にできることは極めてシンプル。
日々投稿を書いて、コンスタントに作品を作ること。
それしかないのでは?
蓮’sBarなどは、私の趣味の延長線。
ただ、蓮ワールドを知るきっかけになってくれればいいなと思っている。
私が蓮ワールドで伝えたいことを一言で言うならば、ピュアな世界観。
決して苦労話ではないのである。
私の作品を苦労話としか取れない人は、実に勿体無いような気がする。
例えば、工場の中を舞うキリ粉を見て、天使たちが舞っているように見えたとかピュアじゃね?
そういう感受性は私が長年かけて培ってきたもの。
そこに共感する人は、ピュアな感受性を持っていることに繋がる。
きっと滅びゆく姿すら、輝いて見えるんだろうな。
崩壊とはある意味美学である。
つまり、破壊も美学なのだ。
もっと言うならば、別れも美学。
それに伴う涙も美しいわけで。
勇気を振り絞って決断するのが別れでもある。
そこには魂の意志が込められているから、とても崇高なものである。
出会いよりも別れの方が勇気を必要とするから美しく見える。
いかに涙を見せずに別れるか。
そして後悔とは程遠い存在にするか。
今、私はその辺を試されているような気がする。
腹の中ではもう決めたこと。
よし、一皮剥けるぞ、ってね。
全ては好き勝手生きるため。
そのために自分の感受性は自分で守る。