nakanakadekinai's diary

単なる日記でもなければ、単なるエッセイでもない

どうでもいいリアリティ

週末は打ち合わせ三昧なので、金曜日中に『ロックンローラー』の編集作業に目処を付ける必要があった。

役所へ行くのを来週に回し、徹底的に作業に取り組んだ。

想像以上に完成度は高い。

あと何十回とこの作業を繰り返し、完璧なものに近づけて行く。

 

 

さて、もう一月も終わろうとしている。

私にとっては「魔」の一ヶ月だった。

引越しや離婚を経て、やっと新しい人生が始まると思いきや難病の疑いをかけられたりとてんやわんやだった。

しかし、徐々に陽が差し込む季節がやってくる。

なんとなく肩の荷が下り始めた、そんな気がする。

来月お世話になっている社長に会いに行きたいと思いカレンダーを見たら、第一週目以外予定がほとんど入っていないことがわかった。

そうそう、冬眠生活を送るつもりだったので、予定がスカスカなのだ。

とはいえ、ちょっとずつ予定は埋まって行くだろう。

病院通いも少しセーブしたいところだ。

ここは自分の仕事を大事にしたい。

暇なら暇で、読書をする。

若い頃は「暇」というものに耐えられず、常に予定を入れていた。

ところが四十代に入って、体力も落ち、酒も弱くなって、暇なら暇でいいと思うようになった。

それこそ若い頃は二日に一度寝ればいいやというような生活だった。

しかし、そんな無茶をしていたからこの歳になってツケが回ってきたのかなとも思う。

この場ではとてもじゃないけど書けないようなことを三十五歳を過ぎてもやっていた私。

そりゃ、天罰が下ってもおかしくない。

その代わり、私の人生において最も重要な「書く」という作業を与えてくれたのも神である。

この作業がなければ、私は崩壊していたに違いない。

何らかの欲望に流されて、生きてはいなかったかも知れない。

自ら「社会不適合者」であると自覚するには時間が掛かったけれど、自覚して楽になるものでもないこともわかった。

この世の中で生き辛いことに変わりはないのだ。

私みたいな人間は、人に雇われてもダメ。

自分で起業してもダメ。

食べて行く手段というものが、見つからないのである。

しかし、私は勝手に偉そうに「読者」と呼んでいるが、読んでくれる人のために生きていると言っても過言ではない。

子供もいない、家族もいない、愛する人もいない。

やはり何度も言うように、目には見えないものを信じて心の支えにしながら生きて行くしかないのである。

ぶっちゃけて言うならば、それができるうちはまだ救いであるということだ。

失うものがないからと悲観的に生きる必要などない。

大切なものは自分で勝手に作り出せばいいのだと思っている。

 

 

先日、離婚の報告を兼ねて友人に連絡したら、その事実を知っていた。

なぜなら私が毎日書いている文章をチェックしているというのだ。

こんなに嬉しいことはない。

こういう人は一人や二人じゃない。

あちらからは何の連絡も来ないけれども、読んでくれていた事実に心から救われることが多々ある。

私はフィクションを書く必要がないと思っている。

ありのままを描くだけで、それだけで自分の言いたいことを伝えることができる。

心掛けているのは、どんなに時間がなくてもまとめ書きはしないこと。

やはりその時考えていることをリアルに伝えた方が、説得力は増す。

ぶっちゃけ私の私生活のリアリティなどどうでもいい話なのだが。

単なる自己満足に過ぎないのだが。

それは重々わかっているのにどうでもいいことを考えてしまうのは、アマチュアにはアマチュアなりのプライドがあるってもんだろう。

たぶん、そういうことだと自分では思っている。

たかがSNSと言われるかも知れないが、私には他には生き甲斐がないのだ。

一人でいると、あらゆることがどうでもよく感じられて、困っている。

こんなんじゃ、美意識が低下して、生きる希望も見失うのだろうけどね。