川口駅まで行ったのだが、驚愕の事実が…。
馴染みの食堂が潰れていたのである。
滅多に来ることがない川口駅まで来たのだから、せっかくなので寄り道しようとその店まで歩いた。
のれんが掛かっていないことが気になって中を覗いてみたら、閑散としていて、潰れたことが一発でわかってしまった。
あぁ、私の憩いの場。
こうして一軒ずつ見事に川口の街から姿を消してゆく。
その姿は痛々しく、写メを撮る気持ちにすらなれなかった。
別の町に引っ越したとはいえ、思い出深くもあるその店。
何度訪れても名前は覚えられないのだが、道順は記憶している。
喫煙可能店でメシも酒も美味かった。
しかもリーズナブルときたら、行かないわけはない。
意気消沈として、私はフラフラと歩いてドン・キホーテでシャンプーなどを買い込んで、そのままバスに乗ってしまった。
バスの中では行きも帰りも小説を読んでいた。
昼過ぎに帰宅してからも、ずっと読み耽っていた。
勉強のつもりで読んでいるのだが、面白く、すっかり娯楽と化している。
この小説が優れたものであるかを証明しているようだ。
あっという間に半分を読み終え、ここから「サビ」に入る。
「サビ」の描き方に苦戦中なので、読み進めるのが楽しみでもある。
それにしても馴染みの店が消えたことは、何かを象徴しているように思えた。
それは、「縁」だ。
引越して間もない頃は、何かと用事があった川口市。
気に入っていた店が次々とコロナ禍の影響で店じまいし、縁がなくなってしまったように感じていた。
私が住む町は、チェーン店がほとんどないので、喫煙可能店が多い。
とある人に言わせれば、家賃相場が安い分客層が悪いと聴いたが、今のところそれを感じたことはない。
私は川口駅周辺が好きだった。
埼玉県に移住して、唯一の楽しみは川口駅へ行くことだったと言っても過言ではない。
居酒屋や食堂だけではない。
ぷらっと立ち寄れるカフェや、ランチの美味いレストランなど、どの店に入るか迷うほどだった。
それが今となっては、辛うじてプロントがあるくらい。
もう、用はないな、そう思った。
ずっと気になっていたバス停前の焼鳥屋には、縁がなかったようだ。
しかし、あれほどの繁盛店がなぜ潰れたのだろうか。
立地条件も良く、川口駅前商店街の中に位置していた。
提供価格が安すぎたのだろうか。
私は料理がさほど得意ではないので、やはり食堂や居酒屋がなくなるのは切ない。
割り切って、料理をすればいいのだが、その気にならない。
無言の圧力が私を街から追い出しているような、そんな気分になる。
どうせ私みたいなヤツは、街中の邪魔者だ。
本当に居場所は自宅にしかないのだろうか。
だとしたら、本当に寂しい限りだ。
ずっといられる町を探している。
今の場所にあと何年いられるのかわからないが、行く行くはどこかに拠点を置きたいと思う。
そもそも居場所を探すのが、私の旅の目的でもあった。
私がここにいる理由は明確である。
上京したいという願いがずっとあって、田舎に引き返しても、あきらめることなく舞い戻った。
しかし、都内は家賃が高いから、立場をわきまえ埼玉県に住むことになっただけの話。
別に、何者かに流されてきたわけではない。
東京という目標の元、自分の意志でここにいるのだ。
先日、「なんで埼玉県まで流されてきたの?」みたいなことを言われて、はらわた煮えくりかえる想いがしたが、静かに答えた。
仮に流れ者だったら、なんだって言うんだ?
私は流れ者であり、どこへ行ってもよそ者であると自覚している。
ただし、よそ様から言われるとカチンと来る。
ただそれだけのことだ。
大人になったら自分の居場所は自分で探さなければならないと思って今に至るが、未だに見つからないのはなぜか。
自分独自の役割が明確になれば基地を得ることができるだろう。