nakanakadekinai's diary

単なる日記でもなければ、単なるエッセイでもない

浮かれない春

用があってまた川口まで行ってきた。

もうこれで当分の間、行くことはないだろう。

先日も書いたが、馴染みの食堂が潰れたので、行く場所がなく、またしてもプロントに入った。

ビールが美味い店なのだが、オレンジジュースと茄子とトマトのスパゲティを頼んだ。

美味でボリューム満点なので、夜ご飯は要らないだろう。

時計は十五時を回っていて、帰宅したら十八時だった。

ポストを開けると、母さんから春物のストールが届いていた。

ピンク色で春らしく、これに合せたコートが欲しいくらいだ。

実を言うと、友達から紺色のフカフカのマフラーをプレゼントしてもらったことがある。

合せられる服がないので、水色のウールのコートを買った。

古着で買ったので、今、クリーニングに出している。

先日黒色のハーフダウンジャケットを買ったばかりだが、流石にもう暑いくらいだ。

水色のコートは土曜日取りに行く。

春も秋も着られるので、マフラーの出番も増えることだろう。

よし、四月以降は、本の発売も控えていることだし、スプリングコートでも買おうかな。

そうすれば、母さんからもらったピンク色のストールが使えるようになる。

春が近づくと、どうして人間はウキウキするのだろうか。

私個人的には、冬も悪くないと思っている。

雪がほとんど降らない地域に住んでいるからそのようなことが言えるのかも知れないが、冬は冬で、私は嫌いじゃない。

懸命に生きている感覚に陥るからかも知れない。

北海道出身なので、尚のこと、寒さには強いのかな。

埼玉県の夏は地獄なので、それよりは冬の方がマシかと思ってしまう。

春は、私もウキウキする。

しかし、世の中の動きについて行けないことが多々ある。

一斉に春物を着るようになるのはいいのだが、トレンドなど考えていない私は寒い日は寒い!と言って堂々と冬物を着るけどね。

春は光の季節。

長いトンネルのような冬を潜り抜けた先にある希望のような光。

鬱屈した気分が晴れて、開放的になるのだろう。

 

 

ところが、しつこくて悪いが私は一つの目的を失う季節でもある。

ロックンローラー』の制作が終わるからだ。

この先、何を励みに生きていくか、未だに考え中である。

○○のような人になりたいとか、こういう本が書きたいとか、そういう目標もない。

かといって、何かに没頭していないと生きていられないタイプ。

さて、マジで困っている。

日々の投稿は続けるが、遣り甲斐が欲しい。

けれどもやりたくないことはしたくない。

自立心はあるけれども我が儘なので、自分でも呆れている。

春かぁ…

楽しみといえば、両親に会えるかも知れないことくらいかな。

 

 

新作に挑戦すればいいと思う人がいるかも知れない。

しかし、構想ありきだと思う。

これがプロの作家だったら、「このテーマで書いてください」みたいなことを言われるのかな?

あまり詳しくはない。

私の場合は、全て自分で考える。

テーマも、内容も、発売時期も、印刷部数も、全てだ。

何でも自分でやるから楽しいことも多々ある。

だけど仕事せず、全エネルギーを『ロックンローラー』に捧げている身としては、やっぱり無くなったら寂しいものである。

この状態がいっそのこと続けばいいと思う。

仕事へ行きたくない人が病気になって休職しているとする。

いっそのこと病気が治らなければと願うのと似ている。

時が止まってしまえばいいと思ってしまう。

逆に言えば、いかに今が幸せかということ。

好きな時間に起き、好きな時間に寝て、適当に食べたいものを食べ、煙草吸って酒飲んで、自由気ままに執筆して。

気が向いたら本を読んで、スマホを眺めて。

熱中できるものがなくなるとわかっているから、ぼんやりと「役割」について考えるのかも知れない。

そう考えたら、やはり専門職に憧れる。

文章を書いて、食べて行ける人はいいよな。

私は死ぬまでこのままなんだろうか。