橋岡蓮 ’s diary

単なる日記でもなければ、単なるエッセイでもない

居場所を求めて

時間さえあれば読書をするようになった。

私としては実に珍しいことである。

しかも読んだことのない本を読むのではなく、もう記憶から消えているような一度過去に読んだことのあるものをチョイスしている。

引越しが多かった私は、その度に本をブックオフに売っていた。

つまり、我が家に残っている本は、それなりに面白かったものというわけだ。

勿論、買ったはいいがまだ読んでいない本も沢山ある。

そんな理由もあって、先日本屋さんへ行った際も何も買わずに店を出た。

読まなきゃならないと思っているのは、坂口安吾三島由紀夫

ところが今は村上春樹の初期の長編小説を読んでいる。

初めて読んだのは、恐らく十代の頃だったのではないだろうか。

私の地元である札幌が舞台になっているので懐かしい。

私は一言一句本を読むので時間がかかるが、それでも三分の一は読み終わった。

以前にも書いたが、どこへも行かない休日を送れるようになったのは最近である。

酒も飲まずに読書をしていると、精神状態が安定していることに気づく。

当然ながら音楽も鳴らさない。

極めて静かな部屋で、真っ昼間から煌々と電気を点け、座椅子にもたれ掛かって本を読む。

時間が過ぎるのがあっという間だ。

それにしても、この居心地の良さは一体何者なのだろうかと考える。

その答えは、「安定」だ。

それしかない。

安定剤を飲んでいるわけでもないのに、心が穏やかなのだ。

私の場合、心が安定していないと昼間でも酒を飲んでしまいがち。

ましてや、一人で家にいられない。

読書という有意義な時間を過ごしていると、本当に家から出たくない。

たまにカフェなどで仕事をしている人を見かけるが、私にはそれができない。

騒々しいからだ。

自宅でマイペースに執筆したり読書したりする方が、俄然はかどる。

 

 

これを書き終えるまでは音楽でも鳴らそうか。

ミッシェルガンエレファントの『暴かれた世界』。

書き終えたらまた音楽を消して、読書に耽ろうと思っている。

私って結局いつの時代もこうして自宅でロックを聴いたり本を読んだり酒を飲んだりして過ごしている。

ここで何度も書いているが、「ここ」にいる意味が無い。

かと言って「ここ」を出て行かなければならない理由もない。

私の居場所探しは続くが、一生いられる街を探している。

いや違う、理由付けかな。

誰の頭で考えても解り易いような「意味」を探しているのだ。

例えばこの人がいるから私はこの街を選んだ、とかね。

この仕事があるからこの街に住んでいる、とかだ。

 

 

処女作『破壊から再生へ』にも書いたが、居場所探しというのはある意味私の人生の一つのテーマでもある。

どこにいても何となく抱いてしまう違和感と虚無感。

これ、もし見つかったら達成感半端ないのだろうなぁ。

それとも居場所というものは、見つけるものではなく自分で築いて行くものなのだろうか?

確かに今の職場には私の居場所がちゃんとある。

そして、このアパートは私の居場所以外の何ものでもない。

何故、このアパートを選んだかといえば、友人達と会うのに丁度いい距離だったし、引っ越ししやすい場所だったからだ。

特に不満があるわけではないのに、どこかへ行かなければならない焦りみたいなものを感じるわけで。

人生は折り返し地点を過ぎ、そろそろ居場所を定めなければならないと考えた時、どうしても「ここ」ではないような気がしてしまうという話。

とは言いつつも、このアパートの部屋は居心地がいい。

どこへ行っても満足できない人間にはなりたくない。

いい加減色んなものを固めて確立する必要があるように思う。

旅人というものは、人々が想像する以上に心身共に疲れるものだ。

やはり安住の地が必要だ。

腰を据えて、色んなことが書きたい。

趣味の域を通り越して、一人の職人としてね。