nakanakadekinai's diary

単なる日記でもなければ、単なるエッセイでもない

悩みがないという悩み

某日、隣町の居酒屋にて、こんな話があった。

 

「蓮さんも占いしてみてはいかが?」

 

私はそれに対して即答した。

 

「私って、悩みがないんですよ!」

 

自分で言っておきながら驚いた。

そうだ、私ってこれといった悩みがないのだと改めて思った。

目標は持っていて、それに向かって何をすればいいのかもわかっている。

それでいて、特定の愛する者を持たないので、失うものがない。

健康面では、日常生活を送るのに何ら問題は無い。

また、私特有の道を選択してしまったので迷うこともない。

だから、占いへ行っても何を相談すればいいのかわからなかったのだ。

占いに興味がないわけではなく、今の私には必要がないという話。

むしろ、悩みがないことが悩みくらいなもんだ。

細かいことを挙げればキリがないが、誰かに相談するまでのことでもない。

ただ、友達には「報告」したいことが多々あったので、時間を作って昼飲みに付き合ってもらった。

彼女もまた、私に報告したいことが多々あったらしく、実に有意義な時間を過ごすことができた。

酎ハイのアルコールが薄すぎて、何杯飲んでも酔わなかった。

致し方ないね、ということで最後の最後に角ハイボールをジョッキで二杯やっつけて帰ってきた。

非常に飲み足りなかったので、追い酒しようかと思ったが、寝不足だったので日付が変わる前にこれを書いている。

 

 

そもそも悩みというものは、どのレベルまで達した時に考えるべきなんだろうか。

例えば、恋愛や仕事に悩む人々は大勢いると思う。

気になるあの人と縁はあるのだろうか?

この仕事は続けていてもいいのだろうか?などだ。

私かて、多くのことを悩んできたつもりではある。

しかし、私の唯一の良いところを挙げるとすれば、動きながら考えるということだ。

失敗してもあまりクヨクヨしないので、もしかしたら人並みに悩んでいないのかも知れない。

以前、こう言われたことすらある。

 

「自分のことを好きになってくれた人を好きになるから、成功率が高いだけである」

 

それ、それ!!

私は私に興味関心を抱いてくれる人、私のことを好きでいてくれる人以外眼中にないのだ。

その代わり、心の中にあの人もこの人もといるような人はダメ。

傷つくのが怖いので、さっさと身を引いてしまう。

ヘタレであり、卑怯っちゃ卑怯だ。

でも良くも悪くも私はそういうヤツ。

負けそうになったら、負ける前に戦うことを止める。

まぁ、所詮その程度の人でしかなかったということに尽きるのだが。

本当に好きになってしまった時、私みたいなヤツはもがき苦しむだろう。

勿論、本気の恋は経験済みだ。

ところが、あんなに悩んだのは一体何だったのだろうというほど、終わってしまえばあっさりしている。

自分では結構未練たらしいと思う節があるのだが、案外そうでもないかも知れない。

振り返ってみれば、本当に本気だったのか?と考えさせられる。

 

 

これまた理解不能な話かも知れないが、「終わらない恋」に憧れているところもある。

どこかで聴いたが、それは「忍ぶ恋」と呼ぶのだそうだ。

死ぬまで恋し続けていられたら、そりゃ幸せかも知れない。

到達することができないものへの憧れは、人間を一回りも二回りも成長させてくれる。

 

 

なんてカッコいいことを言ったところで私は人並みの悩みすら持っていない人間だ。

達観したのか?

悟るほど人生経験豊富ではないが、なぜ私には悩みらしい悩みがないのだろうと改めて真剣に考えてみた。

そして、一つの答えに到達した。

それは、行き詰ったら開き直って生きているからだ。

勿論その境地に至るまで、これでもかというほど体当たりしてきている。

ただ、私は一つの事実に気づいてしまった。

体当たりとは、疑いを持たずにぶつかること。

つまり、悩みがないのは体当たりしている証になるのではないか?

まず、やってみる。

それは誰にでもできることではないと思った。