確かに日比谷公園の満開の桜を見てきた。
満開だったけど、この程度の桜で満足できる母さんは感性が豊かだなと思った。
私はそこら中に咲いている花を見ても、桜を見ても、チューリップのつぼみを見ても、感慨深い気持ちにはならなかった。
そんな自分が何だか悲しい人間のように感じて、センチメンタルな気持ちのまま母さんとランチをした。
何もないのに、ふと泣きたくなったり、憂鬱な気分になったりと、浮き沈みが激しかった。
母さんを心配させるようでハラハラしたが、そんな私に気づかぬ素振りをしてくれた。
その心配りがまた嬉しいような申し訳ないような気持ちになって、母さんを見送った後は、目を潤ませてしまった。
半日、東京散策をしただけなのに、クタクタになった。
日比谷公園を散策した後、休憩がてらパスタ屋へ入ったのだが、全く腹が空いていないのにパスタを一人前食べきってしまった。
朝、ドトールでサンドイッチを食べたからだ。
勿論、そのパスタが美味かったから食べられたのだ。
私は一日三食も食べないので、ヘビーだった。
しかし、せっかくのひと時を台無しにしたくなかったので、無理して食べた。
お陰で夜になっても食べられる状態じゃないので、何も食べずにこれを書いている。
そこで想うことがあるので、ちょっと書いてみる。
私は昔は桜が大好きだった。
北海道出身の私は、桜に馴染みがなかった。
ところが、二十四歳で富山県へ単身で飛んだことがある。
そこでトータル八年間~九年間お世話になった。
その期間、富山県の桜には魅了させられた。
私の創作の原点になったのは上京したばかりのハイビスカスのネックレス。
しかし、感性を養ってくれたのは富山県の桜と地酒、そしてロック三昧の日々だったと言っても過言ではない。
桜が見たくて仕事をサボったことも何度かあるほどだ。
富山県を出る時は、もう二度とここの桜が見れないのかと思うとゾッとしたほどだ。
本当に富山県を出てしまっていいのか?と。
しかし、私はススキノでホステスになると心に決め、フェリーに飛び乗った。
富山県には様々な想い出があって、去ることはとても辛かった。
そんな私がススキノに求めたのは、最後の最後の「晴れ舞台」だった。
人生最後に華やかな舞台で思いっきり弾けたかったのである。
そして、気が済んだら誰かと結婚しようと思っていた。
その通りになったけれど、結局別れて今に至るのだが。
ただ、私が富山県へ行ったことはある意味運命だったと思える出会いがあった。
イラストを描く女性との出会いだった。
ぶっちゃけ、私は彼女の多くを知らない。
しかし、私に心を開いてくれ、信じてくれて、私の著書『ロックンローラー』の表紙を描いてくださった。
もし、あの日あの時、若き私が富山県という未知なる土地に足を踏み入れていなければ、この出会いはなかったのではないかと思う。
どこかの誰かの一つの行動が、宇宙レベルで繋がっていて、どこかの誰かの運命を狂わせることがあるとする。
それって、神秘的で素敵なことだと思わないか?
もしかしたら、こうして書いている文章が、いつか誰かに届くかも知れない。
「母さん、富山県の桜はもっと綺麗だよ!」
私がそう言ったら、富山県の桜を一度一緒に見たことを覚えていたそうだ。
散々喧嘩してしまった苦い過去。
覚えていてくれたんだ!
お互いに想い出すのが辛い過去だけど。
泣きべそ掻きながら帰ってきたら、夜、ポストに郵便物が届いていた。
彼女からだった。
まるでどこかで私を見守っていてくれたみたい。
日比谷公園の桜を見て感動しなかった私だが、郵便物を見て涙した時、なんとなく自分に安堵することができたのは気のせいだろうか。
疲れが吹っ飛んだようだった。