作業中にふと感じたことがあるので書き留めておこうかな。
忘れないうちにと思い、作業を一旦中断し、これを書いている。
私ってヤツは、敏感なのか鈍感なのかわからない。
けれども、好意を寄せてくれていた人が離れて行く瞬間はなんとなくわかる。
原因は幾つか考えられる。
例えば元旦那の夢をきっかけに、元旦那に対する考えを赤裸々に綴ったりするからだ。
もしくは、仕事仲間のほとんどが男性で、男性との交流が多かったりすることを隠さずにベラベラここに書いたりするからかも知れない。
私はなんとなくわかる。
あの人の中にはもう私はいないということを。
そこで考えるのだ。
ただ単に縁がなかったのかも知れないと。
仮に、私を一途に思ってくれていたとしても、私ごときが幸せにできるのか?って話。
一緒に暮らして上手く行くとは、到底思えなかったりする。
多かれ少なかれ、元旦那と他の男性に大差はないと見ている。
自分の前で、他の男性と親し気にされたら嫌な気持ちになるだろう。
それが、たとえ仕事仲間だとしてもだ。
自分のことを棚に上げて言うと、私なら耐えられないのだ。
自分のことだけ考えてみると、私は仕事仲間と読者の方と、数少ない友達に囲まれていれば生きていけるのだろうか?
私みたいなヤツは、一人でいればいいのではないかと常々思っている。
しかし、私はどこまでもワガママで、話し相手が欲しいなどとほざく。
私は太宰治や知り合いの写真家の方の真似をして、仕事が終わったら夜中一人で電気ブランをソーダで割って飲んでいる時がある。
次の日の朝が早い時は赤ワインにするが、ガッツリ寝られる日だったらシメシメと電気ブランを飲む。
といっても水割りで一杯程度なのだが、どうやら気分が良くなるようだ。
少々ハイになるので、誰かと下らない話がしたくなる。
ただし、面白い話じゃないと嫌なのだ。
だから面白い人に電話などしたくなるのだ。
ところがその行為は、他人様からしたら多大なる迷惑であることがわかってしまった。
だから、恐らくよほどのことがない限り、自分から誰かに連絡することはないだろう。
これもまた、目には見えない空気を察したからだ。
孤独と精神の欲求不満を抱えた私は、文章を書くしか術はなくなるわけだ。
なんだか神から与えられた宿命とはいえ残酷な話だと思わないか?
結婚時代を振り返っても同じことが言える。
私に対して興味関心があまりなかった人だったし、私の仕事に口出ししないで欲しいと告げてあったため、ほとんど会話が無かった。
あったとしても、キャンプの話だけだったような。
もし、万が一、建設的な会話ができる間柄だったら「精神の欲求不満」や「退屈」を感じることはなかっただろう。
ここまで書いても、ことごとく私ってワガママだなとは思う。
私自身無知無学のくせに、頭が良くて面白い人がいればいいのにと感じてしまうのはやっぱりワガママ。
えい、もうここまで来たら、あと十年間作品を作り続けてさっさとくたばりたい。
クリエイティブな脳や感性を維持できるのもあと十年くらいなものだろう。
生涯に渡って、パートナーを見つけることができなかったというのは悔しい。
けれども、特定の人は見つからないかも知れないという恐怖。
たぶん私が一番求めているものはパートナーなはずだ。
とはいえ、自分には孤独がお似合いなどと思っている節もあるわけで。
だったら、仕事でひと花咲かせてもいいよな、とか思う自分もいて。
死に物狂いで体当たりしてきて、何も見えないまま終わって行くのも不本意だ。
ここまで来ると、自分の長所も欠点もわかっている。
希望もあれば諦めもあるわけだ。
雨が降っていて寒いせいもあって、なんだかモヤモヤ。
ここまで書いて思い出した。
「人と話すのではなく、天と話せ」
だっけな?
私は黙って本を書いていれば、誰かが迎えに来るのか?
寂しがり屋な自分が嫌いだ。
電気ブランなんて飲まなければいいのに。