無事に、データ一式を印刷所へ送ることができた。
あとは製本されたものが我が家に届くのを待つのみである。
その間に、Amazonやホームページの手配を進める。
企画書やチラシ制作、詳細文の作成など、やることは沢山ある。
もうひと踏ん張りだ。
あまりにも身体が疲れていたので、布団の中に潜って寝ようと試みた。
ところが全く眠れない。
銀行へ行く用事や打ち合わせが延期になったため、事実上休み。
仕事を進めるには材料不足で、仕方がないから本でも読もうと思っている。
読者の方から薦めてもらった小説や、勉強のために読まなければならない本など多数あるのだが、最近は缶詰め状態だったので手付かずだ。
まずは、とある先生の随筆を読もうと広げたのだが、これを書いてしまってから酒でも飲みながらゆっくり読むことにした。
せっかく休みになったのだから、早い時間から飲んでさっさと寝た方がいいだろう。
なんだか毎日泥酔しているイメージを持たれているようだが、そんなことはない。
ただ、れっきとしたアルコール依存なことには変わりない。
飲まないと損した気分になるのである。
今は、ビールを飲もうかどうしようか悩んでいるところだ。
ビールでも飲めば、仮眠できるだろうか。
今月はスケジュールが割と週末に集中していて、平日は空いている。
だから、平日を無駄にしないように、ちょっと考えなければならないな。
私みたいに在宅で仕事をしていると、たまに妙な罪悪感に駆られる。
それは、朝早起きして日課を片付け、一息ついた頃だ。
携帯電話の着信音が鳴らない時、あれ?と思う。
そうか、世の人々は今頃仕事中なんだと気づく。
私も忙しい時は何とも思わないのだが、暇になるとなんとなく申し訳ない気持ちになってしまう。
同時に、少々焦りが芽生える。
私って、何やってんだ?みたいな。
だから本当ならば、昼夜逆転の生活をしたいくらいだ。
そうすれば、このような空虚な気持ちにはならずに済むだろう。
日中は寝ていればいいのだから。
それとも、細かいことを気にしすぎだろうか。
負い目を感じるということは、それだけ周りを意識していることでもある。
私は私と言いながら、遅れて行くことに焦りを感じているのかも知れない。
結局、家の中で仕事がある時はいいが、暇しているとロクなことがない。
気が滅入り、精神的にも不安定になる。
あぁ、嫌だ嫌だ。
もっと図太かったら社会の中で疎外感など感じることなく堂々としていられるのにな。
極端に自意識が高いので、誰もが気に留めていないようなことが気になったりする。
まぁ、そのお陰で人様からお時間を頂戴する時は、申し訳ないと思ってしまうので、謙虚になれるのだが。
精神科医くらいになると、人間は美味しいものを食べて笑っていられればそれでいいと言う。
しかし、私としては笑っていられることほど難しいものはないと思う。
情熱を注げる仕事を持ち、ある程度の余裕がない限り、美味しいものも食べられない。
だから医師の言っていることは簡単なことではないのである。
せめて、気持ち穏やかに過ごすことを目指すならわかる。
そのためには、諦観のようなものも必要だと感じる。
一番簡単なことに最近気づいてしまった。
それは得意なこと以外しないということだ。
もう若くないので、今更苦手分野を克服する必要はないと思っている。
自分にできることをどこまでも伸ばし、自信に繋げることなら私にもできそうだからだ。
『ロックンローラー』が一段落したのなら、次作のことを考え始めてもいいのかも知れない。
そうやって自分の人生の大半を好きなこと、得意なことで埋め尽くせば、壁みたいなものはぶち破れるのではないだろうか。
先日も書いたが、自分の「価値」に気づけば細かいことは気にならなくなる。
価値とは、あらゆるものを捨てた代償である。
だから、諦観も必要なのだ。