小説『ロックンローラー』の感想が寄せられている。
非常に嬉しいことだ。
今後の私についてこのようなご意見があった。
「泥の深みの底にある光のようなものを描いていかれるのでは」
私としてはこの言葉が突き刺さり、全く以てその通りだなと思った。
闇の中の光を見てきたような気がするし、それを感じてきたような気もする。
だから自ずと、作品にはそれが顕れているように思う。
また、こんな意見もあった。
「こんな私でも生きていていい!」
『ロックンローラー』を読んで力をもらったとのことだ。
こういう意見は実に励みになる。
こんな私が堂々と生きているのだから、読んでくれた方は勇気づけられるだろう。
全部は紹介できないが、少しずつ紹介して行こう。
飲み過ぎた次の日は疲労困憊。
寝不足も相まって、一刻も早く寝たいのだ。
しかし、昨日これを書くのをサボったので、書かないわけにはいかない。
これは、自己満足の世界。
誰に言われたことでもない。
ただ、ちゃんと書かなければ誰も読まなくなるだろうと思うからだ。
私の投稿がアップされなかったら心配してくださるのはほんの一握り。
そんな人々でさえ一週間もすれば忘れてしまうという儚い現実。
世の中は私の味方ではない。
代わりは幾らでもいるし、そもそも私は大したことなどない。
だけど、継続は力なりと言う人もいる。
一つ言えることがある。
本を買ってくださった方とは、信頼関係が増したように思う。
距離が縮まったと言っても過言ではない。
私はそもそも寂しがり屋のくせに、全員から嫌われる覚悟でこの小説を書いた。
ところが案外嫌われなかった。
なぜか。
たぶん潔いからだろう。
自分で潔いと断言するのは、謙虚さを忘れたわけではない。
謙虚さは必要かも知れないが、あまりにも謙虚すぎる人はかえって嫌味臭いのである。
自分のことを自慢げに語っているくらいがちょうどいいのではないか。
むしろ、その方が愛嬌があるってもんじゃないのか?
そもそも、自分の本を自分でアピールしないで誰がする?
私はそのように想うのだが、それは傲慢なのだろうか?
ここでヒートアップする。
そうそう、自分の作品を自分でアピールできなくてどうする。
自分が誰よりも自分の作品のファンである。
そうじゃなきゃ、あんなに過激な作品は公にできないでしょうに。
私がどんな気持ちで書いた作品か。
わからない人は心が若干貧しいか、もしくは、やつれていると思う。
心に栄養が足りていない。
そうなんじゃないのかな?
ほとんどの人は私に対して優しい。
先にも書いたが、距離が縮まったように感じる。
私が今まであまり語って来なかった部分を赤裸々に告白している様は、人々の共感を得るはずだと思っている。
自分の作品に自信がなかったら、広められないだろう。
作品を発表する以上、自信というのは必要だ。
処女作の『破壊から再生へ』は、私は原稿を読みながら癒されたので公にした。
自分で自分の原稿が面白かったのだ。
だから『ロックンローラー』も、自分ですこぶる面白かったから発表したのである。
面白くなかったら、公になんてしないよね。
中には嫉妬する人もいるかも知れない。
どんどん嫉妬してくれ。
そんなものには負けない自信があると言ったろ?
この世には私のことを小馬鹿にしている人もわんさかいる。
そういう人こそ、是非読んでみて欲しい。
私の切実な願いや想いに負けるから。
私ときたら、すぐにわかる。
あぁ、この人は悔しかったんだなってね。
イケイケ、ドンドン。
考えてみれば、私にできることは誰にでもできると思う。
悔しかったなら、それこそやってみろと言いたい。
自分の病と闇を暴くこと。
繰り返すが、私にできることは誰にでもできる。
天は自ら助くる者を助く。
だから私は救われたんだってことが、きっとわかるはず。