nakanakadekinai's diary

単なる日記でもなければ、単なるエッセイでもない

敬語なんてやめてくれよ

関東地方は梅雨入りしたようだ。

土砂降りの中、風呂上りに髪も乾かさずに外出したらまんまと風邪を引いた。

あまりにも空腹だったのでスーパーで握りを買い、風邪薬と共にトリスウイスキーで流し込んだ。

その後しばらく調子が良かったのだが、煙草により喉の痛みが悪化。

悪寒がするのでガンガン暖房を付けてこれを書いている。

一日寝れば治ると思うのだが、身体は元気である。

 

 

アマゾンで私の著書『ロックンローラー』が買えるようになった。

この日を待っていてくれた方も多いのでは?

やはり巨大なマーケットで販売できるようになったメリットは確実にあると思っている。

私のホームページから買って頂いた方が若干送料が安いのだが、こればかりはお客様判断だ。

どちらでもいいので、まだという方は是非!!

ホームページもリニューアルしたので、覗いてみてくだされ。

 

 

ところで、相手が鎧を背負っているとこちらもなかなか心を開けないで緊張していることがある。

その反面、オープンマインドで来られると、知らず知らずのうちに無防備になっていることもある。

この人とは無防備でいられるのにこの人とは緊張してしまうと、自分の中で確信めいたものが湧き起こることがある。

自分にとって大切な人かそうじゃない人かは、自分の心理的状態で判断できるのではないだろうか。

そう考えると、心を開くのが苦手な人は損をするのかも知れない。

世間話しかできなかったりすると、あ、私に心を開いていないとわかるからだ。

 

 

例えばこんなことがある。

年上の人に対して敬語を使っていると、

 

「敬語なんてやめてくれよ!」

 

みたいなことだ。

私も年下に対してそう言うべきなのかも知れないが、あまり言わない。

しかし、敬語をやめてくれと言われると心を開いてくれているのかな?と勘違いする。

歩み寄っていいんだ!みたいな錯覚に陥ることもある。

この歳になると、最近若者と仕事をすることも多々ある。

そこでため口を利かれると、嬉しい自分がいたりする。

私の口から、

 

「敬語なんてやめてくれよ!」

 

とは言わないけれども、親しくなるに連れ、ため口を利かれることに心地良さを覚えたりする。

私って丸くなったというか、大らかになったよな、みたいな気持ちになれる。

ため口ですみません、とか言われることもあるけれど、私としては大歓迎なのだ。

私の場合は、親しい人に対しては敬語もため口もごちゃ混ぜになっていることが多い。

というのも、私は正式な敬語を上手く使いこなせないタイプだ。

なぜなら、年上だろうが上司だろうが、ため口で通してきたからだ。

そうですよね、くらいの敬語ならなんとかなるが、「承知」と「了解」の区別もつかない程である。

ビジネスメールになると、突然タジタジになる。

日々の投稿なら書けるのに。

あまりにも偉い人に会う時は、流石にどうしようかと悩む。

しかし、尊敬する人に対しても、私ごときはため口の延長敬語しか使わない。

気づけば「そうですよね」が「マジっすか!」に変わったりして、自分でもハラハラしているのだ。

とはいうものの、あまりにも偉い人に限って、敬語の使い方を指摘してくる人はいない。

橋岡蓮はこういうものだ、というのが阿吽の呼吸でまかり通っているのかも知れない。

流暢な敬語が話せないからといって笑顔が歪むくらいなら、満面の笑みでため口敬語を話す。

こういうのを開き直りと言うのだろうか?

決してその人をバカにしているわけではないし、心から敬意を抱いていることに間違いはない。

中には、敬語も勉強のうちと言う人もいる。

しかし、生意気なキャラクターを親しみやすさに変えて貫き通しているのもアリなのではないだろうか。

ここは会社ではないし、偉い人は上司でもない。

無論、会社員だった頃もロクな敬語は使えなかったのだが。