nakanakadekinai's diary

単なる日記でもなければ、単なるエッセイでもない

書くということ

情けないが、更新をサボってしまった。

理由は言うまでもなく、激しい二日酔いだ。

ライブ配信で完全に飲みすぎたようだ。

ジェイムソンなんて慣れない酒を飲んだからかも知れない。

そもそも、トリスで悪酔いしないようにと倍近い値段のするジェイムソンをスーパーで買ってみたのだ。

今となっては大失敗だったと思っている。

普段通りトリスハイボールを飲んでいりゃ良かったのではないかと。

投稿をサボったのは何年振りのことだろうか。

物凄く変な感じがした。

一言で言うならば寂しかったというべきだろう。

そこで気づいたことがある。

 

 

それは何かというと、日々の投稿を書くことは私の中で完全にルーティン化されているということだ。

一日サボっただけでこんなに空虚な気持ちになるなんて。

やはり、ライブ前に書いておくべきだった。

何故書かなかったかというと、あんなに酔うとは予想外だったからだ。

しかも、五時に起きられないとは。

いや~、日々のルーティンを怠るとこんな仕打ちに遭うとはね。

結局一日中グダグダしていたが、久々の激しい二日酔いで苦しんでいた。

アーカイブを観たら、後半はストレートで飲んでいたようだ。

そもそもジェイムソンというウイスキーは、味が薄い気がする。

だからついつい飲み過ぎてしまうのだ。

ようやく体内から酒が抜けてパソコンに向かうまで復活したのだが、安堵感が半端ない。

現実に戻ってきた感じがする。

やれやれ、なんだかんだ言って、私って書くことを楽しんでいるんだなと思った。

そして、日々戴くコメントにも救われているのだ。

 

 

書くことをルーティンにしてしまえばこっちのものだと思っていた。

何事もコツコツするタイプではないのだが、書くことに関してはコツコツ積み上げていくイメージ。

何年も掛けて一冊の本を仕上げていく作業。

時給換算なんてしたら絶対にダメだ。

必要なものは一円にもならなくとも書き続ける覚悟を決めること。

そう考えたら、私はSNSの時代に生まれて良かったのかも知れない。

毎日ハチマキ巻いて書いているわけでもない。

ごくごく自然な形で私の中の一部となってくれているのである。

私にとって書くということはそういうこと。

一番の目的は、本を売ることではなく、心の平穏を得ること。

パソコンに向かっている時にのみ訪れる静寂というものがある。

それが溜まらなく居心地がいいのさ。

この環境を守るためなら、何だってできそうな気がする。

ただ綺麗ごとは言わない。

この世で生きるためには金が必要で、そのためには世の中から選ばれる存在にならなければならないと。

私などは大したことはできないけれど、書くことだけは唯一苦痛じゃない。

つまり、書くことがルーティン化されれば心強いということだ。

 

 

誰かに送るメッセージの時もあれば、自己満足だけの時もある。

しかし、そこに共通していることは、今日も書いたという達成感である。

こんなに爽やかなことってないだろ?

書いて書いて書きまくって、美味い酒飲んで寝る。

私ごときの人生は至ってシンプルにできている。

悔しいことがあれば悔しかったことを書き、嬉しいことがあれば嬉しかったことを書く。

ただそれだけ。

それでも私の日々の投稿はただの日記のようで、ただの日記じゃない。

エッセイなんて洒落たものでもない。

とある人が言ってくれた。

書くということは神様からのプレゼントだって。

私が求めているものは、この世が滅びても私の文章を読み続けてくれる人。

その辺に転がっていそうで、なかなか辿り着けないのが現実。

私が死んでも読み続けてくれるなら、こんなに嬉しいことはないのだが。

私は勝手にそれを永遠の読者と呼んでいる。

飽きさせないのは、私の仕事。

だから今日も、明日も、明後日も、人を惹きつけられるような文章が書けるようになりたいのである。