nakanakadekinai's diary

単なる日記でもなければ、単なるエッセイでもない

強さも弱さもない

私の考え方や生き方は浮いた存在であることに安堵する時と寂しくなる時の両方がある。

後者が襲ってきた時、穴があったら入りたい心境になってしまう。

心が健全な時は、自分は神から選ばれし者、などと思える。

だから浮いていようが目立とうが、気にならない。

ところが、一旦水溜まりで足を滑らすと、強迫観念に襲われ心が孤立してしまうのである。

な~んとなく、私って孤独なんだと思い込み、心細くなってしまう。

かといって、誰かに泣きついたりするわけではない。

今の自分をしっかり受け止め、整理整頓できるタイプ。

疲れたと言いながら、こうしてパソコンに向かっている時間が一番落ち着くわけで。

だから今日も私は投稿を書いている。

 

 

良くも悪くも能天気なところが私の良いところ。

しかし、ちょっと神経質な一面がある。

強気に生きるのは、自分にゲキを飛ばすため。

自ずと、日々の投稿にも強気なことを書いてしまう。

だけど、本当は私は傷つきやすい一人の女。

傷つきやすさが原因となって、恋愛も長続きしないのである。

求めているのは一体感。

いるよ!絶対にいる!

そう思える時と、思えない時がある。

私みたいな女と上手くやって行ける人なんているはずもないと思った瞬間、メソメソの私が顔を出す。

本当は弱さを孕んだ繊細過ぎる生き物なのに、強気に生きていることがこっぱずかしくなったりする。

だからこそ、穴があったら入りたくなってしまう。

こないだまであんなに調子が良かったと言ってくれる人もいるが、張り詰めた神経が持続していただけ。

些細なことがきっかけとなって、ヒビが入ったりする。

痛いよ、心が痛いよ。

外は雨、ルーリードのエクスタシーを聴いている。

そして赤ワインを少々体内に流し込んでいる。

 

 

このまま突っ走るのだが、ちょっと自分に優しくしたい気分。

強気に生きると、たまに転ぶ。

考え方に依れば、それこそがロックンロール。

転ぶから人間味があって、味があって、見ていて面白いのかも知れない。

転ばない人間はいるだろうか?

恐らくいないのだが、隠す人は多いだろう。

もしくはすっころんだ時の自己表現が上手く行かず、一時的に発信などを停止する人もいるかも知れない。

転んだ姿は実に滑稽であると同時に潔ささえ感じることがある。

だからたまに共感を得たりするのだろう。

弱さを堂々と見せられる人は強いなんて解釈さえできる。

私はその部類。

この場で弱さを晒すことは、明らかに自分を立て直すため。

自分を見つめるため。

そうやって私は文章を紡いできた。

 

 

文章を書く人にとって大切なものは、スキルや知識ではないと思っている。

求心力だ。

もっと分かり易く言うならば、人の心を掴む力だ。

強さも弱さもない。

とにかく自分を晒す勇気だ。

物語性だの、クオリティだの、実力だの、そんなことはどうだっていい。

読んだ後に、ドスンと来るものがあるかどうか。

誰かに何を言われたわけでもないのに、また読みたいと思うかどうか。

そのようなことが最も重要なことだと思う。

そのためには正直に書くことが必須だ。

正直になれない人は覚悟が足りないのだ。

そりゃ、ミステリアスな部分は必要だろう。

それと正直に書かないことは、話が別である。

やはり覚悟の問題だ。

つまりこういうこと。

カッコ悪い部分、人に見られたら恥ずかしい一面などを堂々と人前に晒す勇気がなくテクニックに逃げる人に人々は着いてこない。

私は晒せるぞ。

それが唯一の強みでもある。

疲れた時は疲れたと書くし、寂しかったら寂しいと書く。

不安なら不安だと言うし、泣きたい時は泣きながら書くだろう。

強さも弱さもない。

弱さを見せられることは強さでもあるからだ。

同時に、強気の背景には弱さが隠れている。

そういうことだ。