十一月に入り、なんだか盛り上がってきたような気がする。
めちゃくちゃ眠たいがこれを書くことにする。
帰宅してからパスタサラダを食べたのだが、無性に腹が減って素麺をやっつけたところ。
飲み足りないが、今日は飲まない。
トリスハイボールのみで止めておこうと思っている。
眠気覚ましにチバユウスケの歌を聴く。
素麺を食べて一気に睡魔が襲う。
だけどコーヒーを飲む気はしない。
めちゃめちゃ疲れているのものの、書かねばならぬ。
二連休なのだが、それなら尚のこと、書かねばならぬ。
よく私はガキ臭いと言われる。
ガキ臭さについて書こうと思ったのは、朝の通勤中だ。
我が家から最寄り駅まで歩いている間、ふと閃いたのだ。
すこぶる眠たい夜に、掘り下げて真剣に考えることではないかも知れない。
テキーラ、最近飲んでいないなぁ。
とにかく美味い酒に飢えている。
ビールも氷ジョッキじゃないと満足がいかない。
温い瓶ビールなんてとてもじゃないが飲めない。
テキーラは冷凍庫で保存し、氷グラスでクイッと飲むのがベスト。
十一月に入って調子が上がってきたのは、人と会う予定が増えたからだ。
人と会う予定が増えると、自分の需要が高まったような気がしてテンションが上がる。
気合いも入る。
だから美容室へも行く。
私は来月は誕生日なので、ストレートパーマをかけに行く。
何がガキ臭いって、一番は人を疑わないこと。
最近の子供の方が賢いとは思うが、そういう意味でも私は青臭い。
たぶん、好きなアーティストの愛人になりたいと言うところもガキ臭い。
ということは、夢見られるところがガキ臭い。
寒い日にひと肌恋しくなるのもガキ臭さか?
とにかく何をしていても自分はガキ臭いと感じる。
かといって大人びているよりはいいと思ってしまう。
ただロックに酔いしれて眠たい目を擦りながらパソコンに向かっているだけの時間がとても無駄だと思う。
タイピングする手を動かさなければならないのに、脳と手は一心同体なのだ。
思考回路が止まっていては、手先も動かない。
ガキ臭いって言われるのは褒め言葉だと思っている。
だってそうだろ?
この歳になって少年少女のような夢を持ち、純粋さを兼ね備え、前向きに生き生きと生きている証拠じゃないか。
だから私はガキ臭いと言われたら嬉しいのだ。
しかし、最大のガキ臭さはこの人懐っこさにあるのではないだろうか?
先にも述べたが、何でも信頼から入るあたり、そのもののような気がする。
とにかく頭が働いていないので一気に書く。
ワクワクドキドキする心もガキ臭さだ。
簡単に恋してしまうところもガキ臭さ。
なんて素敵な人なんだろうと直ぐに胸をときめかせる。
これは紛れもないガキ臭さ。
ここで言うガキ臭さとは「至らなさ」や「どうしようもなさ」ではない。
生半可なことでもない。
ピュアであり、キラキラしている才能のことを言う。
成長過程でもない。
どこまで行っても変わらない普遍的なものをガキ臭さと言うのかも知れない。
だから、ガキ臭いよねと言われたら喜ぶべきだ。
もっともっと書きたいことはあったのだが、今日の脳みそで考えられるのはこの程度。
辛うじて就寝時間前。
もしかしたら夢を見て新人賞を狙えるのもガキ臭さかも知れない。
二足の草鞋を履くのを止めないのもガキ臭さかも知れない。
いい歳こいて恋をするのを止めないのもガキ臭さ。
そして、自分の才能を信じてこうして書いているのもガキ臭さ。
才能とはコンディションである。
コントロールし、モチベーションを持続させる力。
それに必須なのがガキ臭さだ。
人間は青臭い一面があるからこそ、才能を信じられる。
ガキ臭さとは歳を重ねたものにとっての才能だと言いたい。