nakanakadekinai's diary

単なる日記でもなければ、単なるエッセイでもない

読む人を選ぶ

注文したはずの本が届かなくて、またもや過去作の続きを読んでいた。

自分で自分の作品に涙する作者はいるのだろうか。

それともどんな作者でも読み返したら泣くのだろうか。

そう考えると、私って幸せかも知れない。

何故なら自分の作品に感動し、何度も読み返しては泣いているからだ。

こんなにおめでたいヤツは、長生きするかも知れない。

私みたいな人間は、極めて短命か、極めて長生きするかどちらかだろう。

図太い人間に限って「心の限界」などと言うが、私はそうは思わない。

繊細な人ほど、自分より繊細な人間は五万といることを知っている。

つまり、自分がこの世で一番繊細だなどと思っている人は、もうそれだけで図々しいと云うわけだ。

それを踏まえて書くけれども、私の作品は波乱万丈を描いているのではない。

人間の中にある純粋さを描いているのだ。

それがわからないと、ストーリーだけを追うことになる。

実に勿体無い。

辻褄合わせをしたがるので、揚げ足取りのような読み方になる。

恐らくそういう人は、自分の純粋さに目を向けることが怖いのではないかと思う。

自分に嘘を付き、自分を誤魔化しながら生きていると、私の作品は怖いかも知れない。

そうではなく、理解者のような存在を求めている人は、読んで救われたりするかも知れない。

自分と同じようなものを、主人公に感じることができるからだ。

伝説のロックバンド『ストリートスライダーズ』のボーカルの『ハリー』ならこう言うだろう。

 

「愛想なんて振りまく必要はない」

「媚びなんて売る必要もない」

「何を言われようが放っておけばいいのさ」

「どうせ誰にも理解できないんだから」

「自分がどこのどいつでも関係ないじゃないか」

 

これは私が常々自分に言い聞かせていることでもある。

そう、こういうことがわかる人は、社会の中で傷ついているはずだ。

だったら、捻くれてしまう前に私の本を読めと言いたい。

 

 

あぁ、情けないかな酒が飲みたいよ。

アルコールを体内に流したいよ。

ほんのちょっとでもいい。

たぶんすぐに酔ってしまうだろうから。

そして、飲んだ後、すこぶる後悔するのだろう。

なんだかそれも嫌だなぁ。

 

 

そうそう、『ロックンローラー』のAmazonの「あらすじ」が何故か消えていた。

明らかにAmazon側の不具合なのだが、これじゃあ購買意欲のある読者の背中を押すことはできないよなと思った。

私としては、こうして投稿で度々自分の作品について「面白いよ!」と伝えている。

ただそれでもAmazonの画面の前で固まっている人がいると思う。

私の作品を読んでくれた人は、こう言っていた。

 

「蓮さんの作品は、読む人を選ぶ」

 

私がこんなこと言ったら益々遠ざかってしまうのか?

ちょっと待って、それはやめてくれ。

別の方はこんな風に言う。

 

「蓮さんの作品は万人受けしないのが良いところである」

 

でも私は心の中で、そんなことないような気もしている。

少なくとも、私の投稿を毎日読んでくれている方なら、なんの抵抗もないと思う。

私はマニアックな音楽ばかり聴いていると思われがちだが、万人に受けるロックも結構聴いている。

だからこの感性は、多くの人に受け入れられる可能性もあると思っている。

そうなったら世の中変わるだろうな。

私は私でこのまま変わらなくとも、ブレなくても、知名度さえ上がり、知れ渡ったら花火が打ち上がるような気がしてならない。

そのことについて、真剣に考えていたこともある。

もし本当にそうなったら、私がファンのミュージシャンは私のファンになるかも知れない。

そうなった時、私はブレーキを掛けられるだろうかと悩んでいるのも事実。

このようなことは、皆が口にしないだけで、心では思っている。

私の作品の怖さってそういうところだと思う。