nakanakadekinai's diary

単なる日記でもなければ、単なるエッセイでもない

屈辱的な気分とは

ヤバ、久々に時間がない。

ダッシュで書かねばならぬ。

出掛ける用事があって、帰ってきたばかり。

急がなくっちゃ。

何故、日中書けなかったかというと、くたばっていたのだ。

あれ?

散々と、くたばらないと言っていたのに。

中華食堂で五百円以下の不味いラーメンを食べた私は、スーパーに寄ってハイボールを買った。

それが効いたのか、起き上がれなくなってしまった。

夜はねばねば丼を食べようと思っていた時に用事ができたというわけだ。

眠たいよ、でも書くよ。

目を覚ますために、少量でモッズを流している。

ヤベー、眠たい。

 

 

実は先日とある人と電話で話をしていた。

何故私が怒っているのか?っていう話だったのだが、途中からわけがわからなくなってきた。

単純な私は、あれ?なんで怒っていたんだっけ?と。

未だにモヤモヤだけが残っているというのは、やはり何かあるのだろう。

何かあるのは明確なのに、話している途中で訳が分からなくなることも稀にある。

ただ、私が怒っていたことだけが事実なのだ。

もっと言うならば、幻滅に近いものがある。

それを上手く言葉にすることができないでいる。

考えてみれば、二年くらいずっとモヤモヤしていたような気がする。

それは私の居場所について、間違えていたような感覚を抱いていたからだ。

今となっては、居場所は大空であり、このアパートだと言える。

それはどういうことかというと、自分自身が居場所であるとわかったのだ。

万が一引越せば、そこが居場所になるだけの話。

私はどこにいたって私である。

それがわからず、彷徨っていたからモヤモヤしていたのかも知れない。

 

 

今欲しいものはなんだ?

『ふざけんな!』という明確な怒りのエネルギーだ。

モヤモヤしているということは、怒りが曖昧になっているのだと思う。

爆発させてスッキリしたいのに、曖昧さゆえ、中途半端になっている。

だから、自らの意思で全てを遠ざけようとしている。

あらゆることが、私にとっては必要ないとね。

抽象的な駄文で伝わりにくいだろうか?

唯一言えることは、何故こんなに気分が悪いのかということ。

一体何なんだ?吐き気のようなイライラは。

やはり私は人に言われたことより、自分の直観を信じているからだろう。

そう、何を聞かされても、自分を信じている。

 

 

プライドを守りたい。

私は野良猫ではない。

何かに属したり、誰かに囲われたりすると、いつもそう思う。

決して拾われたのではない、私はずっとここでやってきたんだとね。

誰かと一緒に暮らしている時、こんなことを言われたことがある。

 

「楽したかったんでしょ?」

 

顔から火が出るほど腹が立った。

楽?

結局、その一言を私は許せなかった。

私のことを何もわかっちゃいない、むしろ侮辱されていると思った。

まぁ、そんなこともあって飛び出したというのもある。

拾われて、躾けられて、世の中に返してあげたみたいな。

やっぱり納得はいかないよね。

野良猫になる前の私を知らないからそう思われるんだ。

過去に栄光などない。

かといって、拾われる筋合いはない。

でも実際には、一時的に拾われてしまったことが悔しくて仕方がないのさ。

そんなつもりじゃなかったのに。

むしろ、こっちこそが応援したいと思っただけなのに。

 

 

一人で意地を張っていないで結婚したら?という意見もある。

だが、『野良猫ではない理論』と燃え盛る悔しさがわからない人とは一緒に居られないことがわかった。

あれ?

結局、なんで怒っていたのかがわかった。

『そこ』に『アナタ』といると屈辱的な気分になる。

そういうことだ。