先日夜遅くに会社から連絡が来た。
『四月一杯で、コールセンターから弊社は撤退します』
マジで?
マジかよ!
やっぱり先日書いた通りじゃないか。
あっけなく斬られる不安定な立場。
ドコモ販売員も断って、コールセンター一本でやって行こうと思った矢先にこれだ。
五月以降の案件については手配中とのこと。
やれやれ。
何となく嫌な予感がしていた。
だって、私がどう頑張ったって、どうにかなる問題ではないからだ。
コールセンターでは管理者だけが正社員で、あとは私のような非正規労働者だ。
全員切られたのだろうか?
会社へ行ってみないとわからないが、少なくとも私の仲間達は切られることになるのだろうな。
ちょっと待てよ、マジでドラマのような展開。
ネタとしては実に面白くなってきた。
このまま順調に行かなくても、最後の最後笑えればそれでいいのだ。
いやいや、元ホストは?
来月飲みに行く約束をしていたのに、どうなっちゃうの?
前倒しで今月行くのか、職場が変わっても行くのか、流れてしまうのか。
恐らく元ホストは今月は金がないのだろう。
だから来月に約束したのだろうが、話が変わってきた。
もし連絡先を訊いてくれるようなら行くが、こちらから連絡先を訊かなければならないようなら行かないかも。
一体どんな展開になるのか楽しみである。
更に大事な報告がある。
群像文学新人賞の中間発表に、私の名前がなかった。
まぁ、そんなものかも知れない。
友達が本屋へ行って『群像』五月号を見てきてくれたのだ。
『橋岡蓮』の名前も『ロックンローラー』の文字もなかったそうだ。
整骨院で電気治療を受けている時に友達から電話が掛かってきたので、終わってから掛け直した。
十四時半から翻訳者と『破壊から再生へ』の翻訳の仕上げの打ち合わせが控えていたので、長電話は控えた。
翻訳者には、新人賞の結果については特に話さなかった。
しかし『破壊から再生へ』を読み返していると、見事なくらい私は子供の頃から変わっていないと思った。
ピアノの英才教育を受けながらも、ピアノで飯が食えるようになりたいと思ったことが一度もなかった。
ピアノや音楽の先生になるなんて考えられなかった。
かといってピアニストにも興味がなかった。
私のピアノの音色は、近所の人達にとって癒しであった。
にも拘らず、得意のピアノで稼ぐという概念がなかった。
誰よりも上手くなりたかったことに変わりはないが、誰よりも繊細な音を奏でる自負みたいなものはあった。
文章もそうで、これだけの情熱を注いでいる割には、あまり作家という職業には憧れていない。
カッコいいと思える作家がいないからだろうか?
ピアノ業界も文学界も、私みたいな異端が入り込むところではない。
ただ一生書き続けていたいし、もっともっと面白いものが書きたい。
子供の頃不良グループに入ることができず、聞こえはいいが『一匹狼』だったと『破壊から再生へ』に書いてある。
その部分の翻訳をしている時、文学界の一員になれない私を思い浮かべてしまった。
本当の意味で、もしかしたら孤高なのかも知れない。
確かに編集者やプロデューサーと仕事をするなんて、まっぴらごめんだ。
私は時には街中で、時には長閑な田園風景を見ながら、とにかく書き続けていたいのだ。
それにしても、作家になりたくない物書きがこの世にいるのだろうか?
かつて私はピアニストになりたくないピアニストだったように。
コールセンターは今月で終わるが、五月からまた新しい仕事を頑張るしかないな。
どうせギリギリ、もしくはゴールデンウィーク明けにしか決まらないのだろうから、この際呑気に構えていればいいだろう。
でも、『もち吉の願い』は商業出版したかったなぁ。