私が少々落ち込んだ素振りを見せると、このようなことを言われることがある。
「生きているだけでいいじゃないか」
ん~、そう思えたら文章なんて書いたりしないのだけどなぁ。
きっと、生きている意味を探しているのだと思う。
ただ生存していればいいと思えるならば、適当に働いて、飯食って寝るだけの生活に疑問すら抱かないかも知れない。
何故この世に生まれてきて、どんなことに使命を感じ、どうやって生涯を全うするのかに興味がある。
寿命が来るまで生きていられればいいなんて思ったことが一度もない。
様々なことに疑問を抱き、意味を探すからこそ文章は生まれると言っても過言ではない。
死ぬほど考えて、模索して、体当たりして、玉砕する。
その繰り返しが私の人生なのだろうか。
書き続けることには大きな意味がある。
それはイコール、考え続けることができるからだ。
文章を書くということは、少なくとも何もしないよりは考えることが多いのだ。
どうやって内なるものを表現しようかと試行錯誤しているからだ。
当然のことながら、読んでくれる人がいるから成立する話かも知れない。
一人も読んでくれる人がいなくなったら私はどうするのだろうか。
答えは明確だ。
それでも白紙に向かって書き殴るのだ。
いつか誰かに見せるためではない。
自分自身を整理するためだ。
答えを導き出し、誰もいなくなった意味を、また考えることになるだろう。
かれこれ十年以上前に、私はある日突然天から『書く』という武器を授かった。
それに気づいてからは、毎日毎日『今日の私』を綴っている。
過去の話などと織り交ぜながら、千五百文字を目安に書き続けている。
今でも忘れはしない、天から『書く』ということが舞い降りてきた日。
それはそれは寒い八王子のボロアパートで、クリスマスイブの日、お客からハイビスカスのネックレスをもらったことをきっかけに私はそのお客のことについて書くようになった。
お客とは書かず、あくまでも『彼』と書いた。
そしてその店を辞める時、一番古株のホステスにメールを打った。
「私はこれから本を書きます」
それから何年もせず、本を書くようになった。
誰にも見せずに自分で書いて、自分で印刷し、自分で売った。
それが今に至っているのだが、そのことは高く評価されることもあれば、徹底的に馬鹿にされることもあった。
所詮、自費出版しかできないクセにと。
私には金も伝手もコネクションもない。
それでもたまたまラッキーなことに、SNSというものを利用することができている。
この時代に生きているからこそだと思っている。
だが、恐らく私はSNSが有料になっても金を払って文章を届けようとするだろう。
ということはつまり、読んでくれる人のことを心底求めているのだと思う。
日々、読んでもらっていることがモチベーションとなっているから書き続けていられるのだ。
いつしか私の中で書くことはルーティンとなり、無くてはならないものになった。
もしかしたら、物書きとしてはまだ若いのかも知れない。
私のターニングポイントは五十歳手前。
その頃に花火は上がり、そこから『橋岡蓮』の名前はジワジワと世の中に浸透していくのかも知れない。
最終的にはただ消え去ることが嫌なのだ。
昭和、平成、令和、という時代を駆け抜けた一人の女として、何か残したいのである。
後世に語り継がれることは難しくても、誰かの胸の中で生き続けたい。
それなのに子孫を残さなかった。
だからこそ、作品に託したいのかも知れない。
かといって、作家という職業には大きな憧れを抱いていない。
何がしたいのか明確になった時、それはきっと叶うのだろう。
古株ホステスに、本を書くと断言したように。