nakanakadekinai's diary

単なる日記でもなければ、単なるエッセイでもない

追い打ちをかける

朝からとんでもないめまいに襲われた。

人生初の出来事である。

友達から耳鼻科へ行った方がいいとアドバイスをもらったが、ネットで調べたら整骨院でも診てもらえるとのこと。

整骨院なら予約してあったので、整骨院へ行って施術を受けてきた。

少しマシにはなったが、完全に消えることはなかった。

時計は午後二時。

どこかの病院へ行こうと思えば行ける時間帯だったが、どこへ行けばいいのかもわからなかった。

しかも、保険証を持ってくるのを忘れたようだ。

仕方がないからスーパーで軽く買い溜めをして帰宅した。

遅い昼ご飯を食べて洗濯をしたが、めまいはなくならなかった。

そういえばずっと多忙で、母さんにも連絡していなかったので、電話をした。

 

 

すると直ぐに電話に出た。

めまいが酷いから電話したというよりは、近況を全く報告していなかったのでそれらを話そうと思ったのだ。

身体の不調は伝えても心配かけるだけ。

とりあえず、池袋まで通って長時間労働をしている旨を話した。

すると、相変わらずのマシンガントークで辞めなさいよと連呼していた。

両親が倒れた時、面倒も見れる人は娘である私しかいないからだそうだ。

そしてまくし立てるように煙草も止めろと言っていた。

煙草を吸えって言う親はいないから当たり前の話なのだが、私にとっては非常に耳障りだった。

金を使い過ぎだの、節約を知らないだの、常識を逸脱しているだの、とにかく怒り狂っていた。

その話を煙草をふかしながら聴いていた。

喧嘩を売るつもりはないが、聴いているだけで気分が悪く、疲労が増していくのがわかった。

 

 

仕舞いには、文章を書くのをやめろと言い出した。

稼いだ金を貯めて本を出したって何にもならないと言い出した。

 

「頼むから趣味に金を使うのは止めなさい。

 生きるために金を貯めなさい。

 睡眠時間を削って文章なんて書いても意味がない。

 文章を書くから本を出したくなるんだ。

 母さんが得意のパッチワークを売るのと何ら変わりはない。

 過去に出した本だって成功とは言えない。

 また同じ失敗を繰り返すのか」

 

ここまで黙って聴いていたが、やはり母さんに電話しても私のメリットは一つもないような気がした。

母さんの言っていることは、ムカつくが正論ではある。

身体に負荷がかかる仕事を辞め、節約して最低限度の生活を送ることが正しいのかも知れない。

しかし、正論に沿った生き方をして長生きするのは何のため?

この電話では疲労と怒りと疑問だけが残った。

やはり親子とはいえ距離を置かないと、私の気が狂う。

からしたら、娘が本を出すことは喜びでも何でもないようだ。

コールセンターで努力していることも、誇りでも何でもない。

先日精神科医が書くことに対する執着を捨てろと言った話を書いた。

書くことは常識から逸脱しているのだろうか?

母さんに怒鳴りたい気持ちを必死に堪え、煙草はもう吸わないと言って電話を切り、すぐさま煙草に火を付けた。

以前、母さんからしたら私は失敗作だと云う話も書いた。

ぶっちゃけ、電話したことを腹の底から後悔した。

そして、疲労と共に押し寄せるのは孤独感である。

親子なんだからわかり合えないはずはないと言う人が多いが、このように例外もあるということを私は言いたい。

そもそも常識ってなんだ?

人それぞれ違うものであって、私の常識は私にとって常識なのだ。

母さんや精神科医が言うように、書くのをやめたら私はどうやって自己実現すればいいのだろうか。

読んだこともない人間が何もわからずに勝手なことを言うなよとは思う。

世間とやらが従っている常識から逸脱しているのを個性と呼ばずして何て呼ぶのだ?

百歩譲って私を心配する親心の表れだと呑み込んだとしても、疲労に追い打ちをかけられたのが答えかな。