男に二言はない、とは私は昔から重んじていることである。
しかし、一度口にしたことを実行しない人の方が圧倒的に多い。
確かに状況は変わるし、この世は常に変化している。
だから私もそれに対してあまりやかましくしなくなった。
男に二言はあっても、ぴーちくぱーちく言わないようにしている。
でもさ、流石に目に余ることもある。
誰とはこの場では言わないけれど、有言実行しないその様は、少なくとも私を傷つけている。
彼の言葉を信じて、期待していたからだ。
ただ単にタイミングがズレただけに過ぎないのかな?なんて思ったりして。
とある変化に気づいてしまった。
それは谷塚と池袋の往復の通勤中のことである。
こっちは一本でも早く次の電車に乗り換えたくて急いでいる。
それなのに、急いでいない人が目の前にいて、チンタラ歩いているとする。
「おいこら、さっさと歩けよ!」
ブツブツとそう言いながらその人を思いっきり避けて、大急ぎで階段を上りぜぇぜぇ息切れしている私を顧みて、こう思った。
「あ、私っていつの間にか嫌なタイプの都会人だ!」
通勤中、始終イライラしている。
満員電車に充満した臭いにイライラ。
暑苦しいと思いながらぶつかってはイライラ。
女の髪の毛の匂いや香水に窒息しそうになってはイライラ。
親父どもの汗や体臭にイライラ。
互いにぶつけ合う鞄にイライラ。
呑気な人が混じり合うエスカレーターにイライラ。
とにかくイライラしっ放しなのだ。
自宅から会社に辿り着くまで約一時間ちょっとかかるが、これはストレス以外の何ものでもないような気もする。
私の口癖といえばこれだ。
「疲れた…」
それでも高いパフォーマンスを発揮したくて、気持ちだけは疲れないようにしている。
昔は都会に住む人を皮肉ったりしていたものだ。
あくせく働くサイボーグみたいだってね。
ところが今となっては、私こそがサイボーグだ。
特殊な環境に順応できるように作られた機械人間。
地方に住んでいた頃は、東京へ来るといつもそんな風に思って人混みを眺めていた。
「一体、この人達は何が悲しくて生きているんだろう」
今の私は何が楽しくて生きているのだろう。
気分にムラがあるのだが、たまにメンタルが落ちてしまった時などは、一体何のために生きているのかわからなくなる。
寿命とは拷問だ!
そうとしか思えないこともある。
ただ、もしかしたらいい出会いもあるかも知れないからあと十年間は生きてみよう。
そんなことの連続で今に至るような気もする。
でも振り返ると、私には決定的に欠けていたものがある。
それは青春時代を謳歌していないことだ。
多くの人は旬の時代を経験しているような気がする。
私の場合は一番大事な二十代を工場で過ごした。
三十代は書くことに目覚めてしまったがために、貧しい生活を余儀なくされた。
このまま花咲くことが一度もないまま終わっていくのかなぁと思うとマジで生きているのが怠いよ。
ただ、せっかく生まれてきたのだから最も望んでいた良きパートナーには巡りあえたっていいのになと思う。
だからこそ、望みをかけて生き延びようとしているのだ。
とはいえ、世の中には何かの拍子で心が折れて、修復されないまま惰性で生きている人がわんさかいるというのも理解できる。
私などは、その瀬戸際にいるような気がしてならない。
私としては上司から必要とされる存在から、部下から慕われる存在を目指したいところ。
年齢的にそうなっても不思議じゃない。
実際には、上司からも部下からも必要とされる人間にならなきゃいけないのかも知れないが、たかが人間されど人間なんだよな。