nakanakadekinai's diary

単なる日記でもなければ、単なるエッセイでもない

当たり前のことしか

身体を引き摺るようにしながら新宿まで行ってきた。

休日に外出するのも一ヶ月振りかも知れない。

午前中用事があって、約一時間の遅刻。

友達と久々に会って、数軒はしごして、池袋のアパホテルでこれを書いている。

翌日から週末にかけて仕事なので、早めに書いて寝ようと思っている。

 

 

私は精神のアップダウンが激しいところがある。

だから激しく落ち込んでいる時もあれば、無敵な時もあるわけで。

毎日読んでくれている人は特に、振り回されているかも知れない。

私としては振り回すつもりなど全くない。

この気質は神が与えたものだから、半ば諦めている。

しかし、たまったもんじゃないと思っている人もいるだろう。

そういう人はやがて私の文章から離れて行く。

現に、離れて行った人も沢山いる。

基本的には、その日あったことや頭に浮かんだことをそのまま書いている。

誤解して欲しくないが、何も考えていないわけではない。

これでも頭使ってるし、時に書くことが負担になることだってあるのだ。

ただ感情を白紙にぶつけているわけではない。

かといって嘘は書かない。

皮肉や怒りを込めて、悲しみを表現することはある。

でもそれは嘘ではない。

嘘ではないが、何も考えないで書いたわけでもないのである。

とことん正直になれる時とそうじゃない時はある。

後者の場合は、誰かがこれを読んでベラベラ喋ることを警戒している時。

又は、これを読んでいる誰かのことを傷つけそうな時だ。

そんなこと当たり前すぎて、書くことも阿呆らしい。

人間は常に正直でいるのは極めて難しい生き物なのだ。

自分を丸裸にはできても、人を傷つけるのは躊躇う、それだけの話。

私って難しいことはほぼ書いていないと思う。

 

 

あの頃から比べたら変わった、などと言われることもある。

恐らく昔の夢見る夢子だった私が懐かしく『あの頃』の私が好きだったのだろう。

ただ、この手の話になると、人間の無責任さに沸々と怒りが湧いてくる。

私だって世の中の縮図なんて知りたくもなかった。

努力は報われるし、神様は見ているとしか思っていなかった。

しかし、現実はそんな容易いものではなく、もっともっと複雑に色んなものが噛み合っているのだと知ってしまった。

『あの頃』は絶望という言葉なんてわかっているようで何もわかっていなかった。

絶望というものは衝撃的に出会うものではなく、薄々気付いていくものである。

もしかしたらこれを絶望と云うのかも知れないと、少しずつジワジワと自覚していくものだ。

ポジティブとかネガティブとか、そんな言葉で片付けられる問題でもない。

もしくは、私は嘘を付けばいいのか?

神様は見ているから頑張ろうよ!みたいな綺麗ごとを言えば、さすが蓮さんだ!などと言ってもらえるのだろうか?

答えは一つ、そんなまやかしの世界を作りたくて毎日白紙に向かっているわけではない。

何度も言うが、私は『納得』が欲しくて文章を書いている。

仕事が毎日ゼロスタートなのと同じく、これだって毎日真剣に向き合っている。

結局『あの頃』なんてものに縋り、着いてこれないヤツは仕方がないって話。

着いてきてくれる人のことを裏切らないことに必死で、赤裸々に綴っているのがわからないのか?

 

 

殺気がなくなったと言われたこともあった。

その時は死ぬほど悔しかったが、言われたことすら忘れてしまっていた。

これだけ書いて、書いて書いて書きまくっても伝わらないこともある。

千五百文字の連続では足りないのだと思い、本にしてみたこともある。

わかる人からすれば、蓮さんは何故当たり前のことを書いているのだろうと思うはずだ。

そうなんだよ、私って当たり前のことしか書いていない。

全ては自分が自分で『納得』するため。

ただそれだけ。