nakanakadekinai's diary

単なる日記でもなければ、単なるエッセイでもない

消えないこと

六連勤が終わった。

残業もあってバタクソに疲れて会社を後にした。

電車に乗って北千住まで行ったのだけど、空腹の限界でラーメン屋に入った。

食券機の前で、悩んだけれどラーメンではなくおつまみセットと角ハイボールにした。

翌日が休みなので調子に乗って二杯飲んだら、疲れがドッと押し寄せた。

疲労困憊でパソコンに向かっている。

数字はそれなりに上げてきた。

ギリギリノルマ達成。

苦戦しながらやっとの想いで達成したのに、それが当たり前になったみたいで誰も褒めてはくれなかった。

 

 

こうも疲れていると、様々なことに腰が上がらない。

翌日は休みだと思うと、やらねばならぬことが頭に浮かんでくる。

掃除、洗濯、整骨院、買い出し、仕事の復習などだ。

あれ?

そこに執筆の文字がないぞ?

ごめんなさい、勘弁してくれ。

今の私にとってはこれを書くのが精一杯で、仕事が落ち着いてくれないと欲が出てこない。

仕事があるうちは焦りも出てこない。

だから全てを捨てて一つのことに集中することもできない。

こう見えて『破壊から再生へ』と『ロックンローラー』は命懸けで書いた。

何故、あんな傑作ができたかって、全てを捨てて死ぬ気で書いたからだ。

でも、矛盾しているが、本当はもっといい作品が書けるはずだ。

ただ、上手く言えないが今じゃないんだな。

今は仕事の土台作りに精一杯で、それが終わってからなんだ。

最初はいつでも辞められる仕事だから気楽だと言っていた。

だけど真剣にやればやるほどドツボにハマった。

ここから抜け出すのではなく、やり終えることが必要なのでは?

 

 

私に必要なことは消えないこと。

消えたら終わり、埋もれたら終わり、そのように昔お世話になったバーのマスターから言われている。

そうならないためには何度も言うが、まずは最低限現状維持だ。

飛躍なんてまだまだ先に取っておいてもたぶん大丈夫だろう。

先日も書いたが、社会人生活もあと五年間くらいなもの。

幸い五年経っても私はまだ四十代。

とにかく、ピリオドを打ちたいのさ。

二千年から始まった地上での社会人生活。

紆余曲折を経て様々な仕事に辿り着き、今こうして池袋に通っている。

これも先日書いたが、二十一歳に始めた北海道の魚屋での店頭販売の仕事が今となって繋がってくれた。

私としては二十年以上に及ぶ苦難の集大成を見せたい。

そして納得したいのである。

二十年以上培ってきたことが、こうして実を結んだのだと。

同様に、長年続けてきた書くということの答えを導き出したい。

ただ、物事には順序があるって話。

もっと分かり易く言うならば、同時に二つのことはできないってこと。

私くらいになると、やって退けそうな気もするが。

 

 

とある方の教えに依ると、私は孤独であればあるほど光る星。

たぶんそれは、メンタルコンディションがいい時は孤独に強いと云うことだと思う。

好運期は特に、孤独でいても孤独を感じないのだろう。

だから物事が上手く行く。

逆に低迷期は迷いやすく、誰かに寂しさを埋めてもらおうとなんてするのだろう。

つまり、孤独には耐えられなくなるからその分輝きを失うのだろう。

今はまさに好運期。

一人でいても何故か心強く、仕事が少しずつ安定に向かっているから尚のこと。

現実に立ち向かう勇気が湧いてくる。

目標は消えないこと、埋もれないこと。

だからと言って、そのために無理矢理作品創りをするのも違う。

必ず時はやってくる。

同時に、物事には終わりがある。

仕事にがむしゃらになるのは、不思議ではないはず。

最近想うのである。

仕事をしていなかった頃の私には魅力がなかったと。

女としてではない。

やはり説得力に欠ける。

だからきっと働いた先にはいい文章が待っているはずだ。