休みだからといって、寝過ぎだろ。
朝は五時に起きれず、二度寝して起きたら昼前だった。
顔を洗って化粧もせずマスクで誤魔化して整骨院へ行った。
空腹だからフラフラしているのかと思ったが、
どうやらそうでもなかったみたい。
整骨院の裏の中華食堂で麻婆豆腐定食を食べたら今度は満腹で、歩くのがしんどくタクシーに乗った。
ドアーズの音が睡魔を誘うのか、それとも相当疲れているのか。
無理矢理布団の上から這い上がって一本角ハイボールを空けたら最後。
起きたら十八時近かった。
身体の疲れはかなり取れたが、
自分にプレッシャーをかけていたのもあり、
精神が疲労困憊だったのだろう。
考えようによっては、少しでも寝れて良かったかも知れない。
そう考えると、普段如何に気を張っているのかが窺える。
数字は今のところコンスタントに上がっている。
それなのに、自分を褒める気持ちが湧いてこない。
もはや当たり前になってしまっているのだ。
一ヶ月、二ヶ月、三ヶ月と出勤のたびに安定した数字を出し続けても自分を褒めたりしないだろう。
できるヤツは、できて当たり前。
危なっかしい、できの悪いヤツほど、称賛される。
私の場合は黙って会社へ行き、黙って数字出して、黙って帰る。
最も難しい課題は、仕事とプライベートのオンオフだ。
今の私は仕事のために休日がある。
いい仕事をできるようにするために、心と身体を休めている。
そうじゃなくて、休みの日は心から遊べるようになるともっと強い。
現実と非現実を上手く使い分けられるようになることは、上を目指し続ける者にとって必須かも知れない。
遊びと云えば、酒かショッピングしか思い浮かばない。
飲みながらも翌日のことを考えてセーブしてしまう自分がいる。
買い物だって、使える金には限度がある。
整骨院の先生が、リフレッシュのために一人で新潟まで行ったそうだ。
日本酒が好きで、
日本酒と美味い魚目当ての旅をしてきたそうだ。
ふむ、私にもそれくらいの思いきりと行動力と精神的余裕が必要なのではないかと思った。
先日チラッと書いたが、富士山と太平洋が見たい。
もしくは、東京タワーだ。
東京タワーを下から眺めたことが、実はほぼ無い。
登ったことはあるのだが記憶にない。
お台場で仕事した帰りにモノレールから東京タワーを眺めて、
物思いに耽ったことは覚えている。
池袋から東京タワーは遠く、谷塚から行くのは尚遠い。
しかし、一目見るだけでパワーをもらえるのが東京タワーである。
じゃあ書くことは現実逃避にはならないのか?って話になる。
私にとっては書くことは現実なのだ。
空想で小説を書くようなタイプでもない。
私が描きたいのはリアリティ。
自分で見て体験したことを文字に起こし読んでもらうことが喜びなのだ。
ここまで来ると、会社に出勤するのと同じくらい義務感を感じて書いている。
仕事と書くこと以外に遊びを取り入れるとしても、なかなか思い浮かばなくても仕方ないのかも知れない。
ところが、睡魔に襲われ一日中起きられなかったように、脳はショートするらしい。
人間と適当に付き合ったり遊んだりすることができない私は、現実逃避は至難の業。
例えば、めちゃくちゃ美味い酒と肴があっても、これをネタに何か書こうと考えてしまう。
そして翌日のことが頭をよぎって弾けられない。
ある意味、目には見えない支配下の元で自由に生きているのかも知れない。
紛れもなく、そのレールは自分で創り自分の意思で歩いているものなのだが。
それともレールに乗るとはこういうことなのか?
全ての自由は、支配下の自由。
支配下で自由を謳歌することこそ、人生のキーワードかも知れない。