nakanakadekinai's diary

単なる日記でもなければ、単なるエッセイでもない

自分の強みと弱み

バタクソに疲れた。

ノルマは達成できなかったし、喋り倒し過ぎて声はガラガラ。

最近は全然ノルマに到達できず、絶不調である。

それでも能天気でいられるのは、生まれ持った性格と処世術かも知れない。

どうやら足立区の荒川沿いでは花火大会があったようだ。

帰り道、浴衣姿の女性がウヨウヨしていた。

初めて足立区の花火大会のポスターを見た時、その日仕事なのと一緒に行く相手がいないことが途轍もなく寂しかった。

ところが当日になるとすっかり忘れていて、浴衣姿の女性を見るまで気づかなかった程だ。

あまりにも疲れていたので、どこへも寄らずに直帰した。

人混みだったし、北千住などはどこも混んでいるだろうと思ったからだ。

谷塚駅前のミストップで寿司を買った。

びっくりするほど不味かったが、空腹は満たされた。

日曜日、仕事が終わったら飯でも行こうよとタメ口ちゃんを誘った。

金が無いけど行くから安い店にしてくれと言われた。

オッケーと言いながらふと考えた。

私は実家を出て一人で生活するようになってからと云うものの、金が無いことを理由に人の誘いを断ったことがない。

人に対して金が無いなんて云うことは、恥だと思っていたからだ。

それに比べると、最近の若者は金が無いと平気で言うから驚く。

昭和気質の私は、金が無くても飲みの誘いは断らないし、金が無くても見た目には気を遣うのが当たり前だと思っている。

特に、男には見栄を張らせてやることも必要だ。

女である私は我慢しても、男にはいい服を着させた。

 

 

と云うのも、私は古風な女なのだ。

義理堅く、律儀で、こう見えて男より一歩下がって歩くタイプである。

キレる瞬間があるとすれば、自分の男が馬鹿にされたりする時だ。

私は基本的に男には敵わないと思っている節がある。

肉体労働を長いことやってきたからかも知れない。

だから、今でも男が上に立ち、現場を取り仕切ることに何の違和感も感じない。

自分は女にも拘わらず、他の女がしゃしゃり出て上に上がろうとしているとイラっとしてしまう。

私にはそういうところがあるが、それは昭和の時代を知っている人にしか通用しない考え方かも知れない。

 

 

そんな私だが、ふと気づいたことがある。

蓮さんはこういう人って云うのがまかり通るようになったのかも知れない。

昔に比べて随分と生き易くなったのだが、

 

『私のことを知ってよ、解ってよ』

 

みたいな気持ちが殆ど湧き起こらなくなった。

殆どの人が、もうわかってくれているからだ。

私が泣こうが喚こうが、蓮さんはそういう人だからといい意味でスルーしてもらえる。

今まではとにかく自分をわかってもらうことに必死だった。

とある人は、だったらこれからじゃないか!と言う。

ところが私としては、何を書けばいいのかわからなくなったりするのである。

 

 

営業をしていてこんなことを社長から言われた。

 

『自分の強みと弱みをちゃんと理解することが大切だ』

 

はて、私はそれをまるで理解していないではないか。

これだけ長い年月自分と向き合って、毎日書いてきたにも拘わらず、自分の強みも弱みもわからない。

もっと言うならば、ここまで来て未だに適職がわからない。

唯一わかっていることは、コールセンターの営業は苦手分野だと云うことくらいだ。

じゃあ、得意分野は一体何なんだ?

それがサッパリわからないのである。

文章を書くことはルーティンであって、私の文章は文学でも何でもない。

ただの日記に他ならない。

四十三年間、苦手分野の克服だけにエネルギーを注いできたため、できるようになっても人並み。

それなのにゴキブリからは尊敬されている。

何故かって、どんなことでも楽しめるからだそうだ。

それは一理あるかも知れないな。