nakanakadekinai's diary

単なる日記でもなければ、単なるエッセイでもない

譲るのもプライド

夏バテかも知れないがバタクソに疲れて、頭がクラクラし、フラフラで倒れそうになりながら働いてやっとの想いで帰宅した。

何か食べないと本気で倒れてしまいそうで、谷塚駅前のミニストップで不味い寿司を買って食べた。

会社では私が元気ないもんだから、何となく皆も元気がなかった。

非常に解り易い。

 

 

喫煙所で、二十歳そこらの男の子に喋り倒す元気はあった。

その子は毎日備忘録として日記を書いているそうだ。

だから私も十年以上日記を書いているという話をした。

ただ、私の日記はその日あったことを書き綴っているだけではないと付け加えた。

 

「その日想ったこと、感じたこと、考えたことを書いているの」

「俺は、何を食べてどこに行って何をしたかを書いてます」

 

読んでくれる人がいて、公にしていることは言わなかった。

どうやらその子は持病があって、物忘れが激しいのだそうだ。

詳しいことはわからないが、私とはまたタイプが違うようだ。

私はそもそもたった一人でいいから理解してくれる人に巡り合うために書き始めたようなものである。

何度も言うが、もはや、多くの理解者に出会えたような気がする。

足りないのはパートナーだけ。

だけど、そのうち見つかるような気もする。

もっと言うならば、見つけてもらえるような気がする。

 

 

二十歳そこらのその男の子は、実は私の上司になった子でもある。

気づいたら管理者になっていた。

一番古くからいる私とゴキブリだけが、未だに下っ端なのだ。

ところが、私くらいになると、下っ端でいるにも考えと云うものがある。

年下に頭下げることを何とも思わず、扱き使われることすら苦ではない。

下っ端でいいやと開き直っている節がある。

ただし、それはプライドが無いわけではないのだ。

下っ端でいいやと腹を括ることが何よりプライドなのだ。

人間はプライドだけでは生きては行けない。

かといって、私にもれっきとしたプライドがある。

下っ端でも構わないと決められる度胸こそ、私から言わせればプライドである。

もっと言うならば、管理者や責任者のポジションを譲り、下っ端に徹することができるのはしょうもないプライドは捨てて、必要なプライドだけを大事にしているからである。

年下にも敬語を使い、ムードメーカーに徹するのは、解り易く言えば強さでもある。

ややこしいが、私はそのように考えている。

人の上に立たないと決める心もプライドだということが言いたい。

 

 

そうそう、先輩が職場復帰した。

どうやら夏風邪だったそうで、心が折れたわけではなかったようだ。

だが、これ以上休んだら、完全に復帰できなくなると思い、危機を感じて出社してきたとのこと。

顔を見たら、ちょっと気まずそうだったが周りの人が普通に接してくれて安心したような、そんな表情をしていた。

はっきり言って、暑いだの、連勤だの、そういうことではないと思う。

海産物チームで営業を始めて約二ヶ月、皆が疲れ切っているのがわかる。

ゴキブリとタメ口女はただでさえガリガリに細いのに、どんどんやつれて行く。

そう考えたら、私は元気な部類に入る。

食いまくっているから痩せていくこともないし、家に帰ってまでクヨクヨすることもない。

バタクソに疲れているのは私より皆の方だ。

とはいえ、日に日に疲れが増してゆく。

営業職って慣れて身に付くまでは、こうもしんどいものなのかと思ってしまう。

皆の姿を見て、一番心が痛いのは上に立つ社長や元ホストだと思う。

しかし、数字は上げなければならない。

そう考えると、責任のない私は気楽なポジションだよなと考えてしまう。

だから上に立ちたくないわけではない。

皆に対して平等な立ち位置でいたいだけだ。

そんな私の気持ちは会社の誰に言ったところで、理解されるわけでもないのだが。