元ホストと先輩と私の三人でコンビニ酒を引っ掛けてから帰ってきた。
どうやら私を誘うことに慣れてきたようだ。
会社があるビルの隣の駐車場でたむろしていたのだが、ずーっと仕事の話をしていた。
この人達は、本当に仕事が好きなんだなと感心した。
いつもこんな風に酒を飲むのかなぁと思った。
もしかしたら私がいたからかも知れない。
共通の話題が見つからなかったのかも知れない。
残業を終え、たった十五分くらいのたむろだったが、池袋の風は生暖かかった。
私は先輩に奢ってもらった男梅サワーでグッタリしたまま帰宅し、またもやQPコーワゴールド錠剤を飲んで復活した。
というのも自伝的エッセイ『破壊から再生へ』の翻訳作業の打ち合わせがあったのだ。
翌日は休みということもあって、日付が変わるまでお付き合い頂いた。
このエッセイは私の処女作である。
初めてパソコンを手にした人間が文学の『ぶ』の字も知らないで書いた作品とは思えないクオリティである。
いわゆる哲学的要素が含まれているのだが、禅のことを書いていたり、仏教的な面もある。
それを頭のいい小学生ならば読み解けるように書いている。
なぜ翻訳作業を進めているかと云うと、イギリスの出版社から英語版『破壊から再生へ』を出したいからだ。
そう思ったきっかけがある。
『世界中の読者が蓮さんを待っています』
とあるドイツの大学教授がたまたまSNSでこの本を手に取って絶賛してくれたのだ。
アメリカよりイギリスがいいと、その教授が言ってくれた。
この本のテーマは孤独と貧困をどう乗り越えるか、ということにある。
そこで登場するのが『輝く草原』というキーワード。
『大人として成長するよりも無防備に笑っていた日々を失うまいとして生きる』
その暁に辿り着きたい居場所が『輝く草原』なのである。
え?
『輝く草原』って何?
作者である私にとっても永遠のテーマだった。
恐らくそれは風と光に満ちた達観の世界かも知れない。
もしくは唯一のパートナーと暮す幸せな生活のことを指すのかも知れない。
ただ、本編でも触れているが、私の人生そのものが『輝く草原』なのではないかと。
なぜなら、紆余曲折があり波乱万丈に生きながらも、圧倒的に擦れていないのである。
池袋の駐車場でたむろしていた時、私は先輩にこのような話をした。
「私みたいなお客さんで溢れていればいいのよ」
「そうだよね、結局は性格だよね」
「先日買った毛ガニに蟹味噌が入っていなかったのに、皆に美味しかったよ!って言ったでしょ?」
「確かに」
「蟹味噌が入っていなかったと怒る前に、美味しかったと捉えられるかどうかでその人の人間性は問われるのよ」
「なんで?」
「だってその人の毛ガニの蟹味噌が少なかったかどうかなんて分かりっこないじゃない」
「そりゃそうだ」
「もしかしたら私の毛ガニより蟹味噌たっぷりだったかも知れないじゃない」
「そうだよね」
「つまり何でも肯定的に捉えられるかどうかはその人の人間性にかかっているのであって、毛ガニは悪くないってこと」
ここまで丁寧に説明をすると、先輩はやっと納得したようで、そうだなと言って笑っていた。
一回り年下の上司にとてもいい話ができたと思って誇らしげにしていると、先輩はこう続けた。
「橋岡さんは優等生タイプだよな」
全然そんなことないのにそう見られているのかと驚いた。
「朝から晩まで勉強することばかり考えないで、カンニングするずる賢さを身につけた方がいいよ」
「無理」
カンニングできるタイプなら、本や文章など書かないかも知れない。
ただ辞めてしまえばこうして愉快な仲間の安否すらわからなくなるわけで。
結局、皆のことが気掛かりで、辞めるに至らないのかも知れないな。
人間性が問われるってそういうところ。