nakanakadekinai's diary

単なる日記でもなければ、単なるエッセイでもない

個人で生きるとは?

疲労感が半端ではないので、東京の信濃町にある大きな病院へ行ってきた。

三ヶ月に一度通っているのだが、激しい疲労感を本気で訴えたのは今回が初めてだ。

 

「この夏、よく乗り切ったね」

「はい、めちゃくちゃ辛かったです」

「薬出すから二ヶ月間様子を見てみて」

 

前々から予約していたが、担当医に会えるのを楽しみにしていた。

医師にはコールセンターで働いていることは伝えてあるが、こてこての営業職で毎日五万六千円のノルマと戦っていることまでは話していない。

ただ、QPコーワゴールド錠剤を飲まなければ日常生活が送れないくらい疲れてどうしようもないとだけは言った。

とても高い薬だったが、出してもらうことにした。

あぁ、臨時収入が入ったのに、皆に奢ってあげる前に消えて行くよ。

次回の診察は十一月。

それまでに途方に暮れてしまうような疲労感から脱出できればいいのだが。

 

 

病院が終わって、信濃町駅近くで秋鮭の天ぷらを食べ、谷塚まで帰ってきて山かけ蕎麦を食べた。

買い物がしたかったのだが、マツモトキヨシで粉末コラーゲンだけを買って帰宅した。

 

 

夜は勉強会の先生とZOOMで話をすることができた。

先生はこう言っていた。

 

「蓮さんはもう人から引っ張ってもらうフェーズじゃない」

 

はて、フェーズってなんだ?

早速ググってみると、まぁ、ステップとかステージとかそういう意味なんだろうな。

段階という意味もあるそうだ。

そうか、私は人から引っ張ってもらう必要はないのか。

私はひたすら自分と同じ人種が住む『国』を求めている。

もしかしたら、私と同じ『国』へ行きたいと思っている人がいるかも知れない。

だったら、私が先頭切って連れて行きたいよ。

そそ、私は誰かに引っ張ってもらうフェーズではないだけではなく、誰かに着いて行くようなタイプでもないのかも知れない。

もう『蓮ワールド』は確立していて、あとはそこにプラスアルファで足して行けばいいだけだ。

『蓮’sスクール』は、私と同じ『国』へ行きたいと思っている人が集まってくれればいいと思っている。

まぁ、解り易く言うならば、居場所がないとか、生きづらさを感じているとか、そういった人はきっと自分の『国』が見つかっていないのだ。

だから生きていて辛いのである。

ではどうすれば『国』へ行けるのか。

同じ人種に出会えるのか。

それを追求するのが『蓮’sスクール』だと思ってくれればいい。

 

 

私はガキの頃に私みたいなヤツがいたらきっと救われた。

今、この時代は『風の時代』で『個の時代』と言われている。

生き方で勝負するというのが求められているのだ。

どうやって生きるか?は人々にとって永遠のテーマかも知れない。

つまり大事なことは『個人で生きる』ということじゃないだろうか。

その上で、協調性や仲間意識や愛が問われるわけで。

もっと言うならば、個人で生きていても社会との関わりは不可欠だ。

さらに、個人で生きられない人のことは社会は相手にしないし、社会で生きられない人は個人では生きられない。

自分だけの世界を持ち、自分だけの道を作り、それを堂々と社会に対して提示できるようになればいいという話。

 

 

先生は実に的を得たことを仰っていた。

 

「蓮さんは金のために働いていない」

 

そうだ!そうだ!

金のために時給のいい会社を探しているようじゃ話にならん。

この世に埋もれているダイヤモンドの原石は沢山いると思う。

私の文章を読んで、ピンと来る人もいるはずなのだ。

そういう人は私の背中を追いたくなる。

私は誰かに引っ張ってもらったりしない。

背中を追われる人間で在り続けたいと願っている。

いわば、社会に出たら、皆が対等であるべきだ。

個人で生きるってそういうこと。

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