nakanakadekinai's diary

単なる日記でもなければ、単なるエッセイでもない

自分の役割を把握すること

風邪なのだろうが、何故か元気で新作の序章を書き上げた。

約九千文字だ。

午前中から集中していたので飯を食うのも忘れていた。

不思議と空腹に気が付かなかったのである。

時計を見れば、夕方の十六時だった。

今から食べても仕方がないので、夕飯まで我慢することにしよう。

今日の夕飯は「スンドゥブ」だ。

それを楽しみに、この文章を仕上げてしまおう。

埼玉県では緊急事態宣言が延長になるとのこと。

私は気付いたら今週一歩も外に出ていない。

打ち合わせもスカイプだったし、週末に食材は買い溜めしてあるので外出する用事がないのだ。

だからほぼ一日中パソコンの前に座っている。

文章を書いたり読んだりを繰り返しているのだが、非常に充実している。

つまり、熱中しているということだ。

熱中できるものを持っていれば、確実におかしな方には行かない。

同じ引き籠りでも、私は自分が何をすべきかよく解っている。

何をしていいかわからず、ただ単に外界から自らを遠ざけようとしているのとはわけが違う。

自分で自分の役割を把握し、それを心から楽しんでいる。

だからパソコンに向かっている限り、急に寂しくなったりすることは無い。

唯一あるとすれば、私と外界を繋ぐものは携帯電話のみなので、携帯電話が鳴らないと漠然とした不安に襲われることはある。

どうして今日は携帯電話が鳴らないのだろうかと考える。

いつもなら様々な通知が来るはずなのに、何故今日は来ないのだろうと。

私の場合、そんな日もあるさと受け流せるようになるまで時間がかかる。

ただでさえ引き籠っているので、いよいよ社会の中で孤立してしまったような感覚がよぎる。

誰もが忙しいし、私のことなど構っている暇はないのだと言い聞かせる。

それでもやはり携帯電話が気になるのだ。

そう云う時は、仕方がないので本を読むようにしている。

本を読んでいる間は、作者と私の対話が実現する。

私みたいなヤツに話しかけてくれているような錯覚に陥ることができる。

 

昨日書いたかどうか忘れたが、本当は外に出て写真を撮りまくりたいのだ。

欲を言えば、パソコンを持ち出して喫茶店やファミレスで執筆したい。

昔親しくしていた作家さんは常に外で文章を書いていた。

確かiPadを使っていたと思う。

私はWindowsなのだが、小さなノートパソコンを持っているので、外出時に持ち運ぶことは可能だ。

でもなんだかんだ言って、自宅が一番集中できるのかなとも思う。

ただ射手座の女である私は、たまに旅に出ないと窒息しそうになる。

できることなら一人旅がいい。

目に映る風景の描写でもしてみたいものだ。

この辺は田舎で、小一時間居座れる場所と云うのはドトールくらいしかない。

ドトールはガヤガヤしているし、隣りのお客さんが気になったりして集中できないかも知れない。

しかしブログくらいなら何とか書けそうな気もする。

 

昔、札幌で暮らしていた頃、喫茶店を何軒もはしごして本を読み漁っていた時期がある。

それが執筆に変われば最高だよなと思ったりする。

あの頃はどこでも喫煙可能だったし、少々長居しても文句を言われることもなかった。

尤も私は人目に付かないようなオフィス街とか路地裏にある昔ならではの喫茶店ばかりを選んでいた。

誰かに会うかも知れない大通りやファーストフード店には絶対に行かなかった。

高校を卒業して、ロクに仕事もしないで昼間から本を読んでフラフラしていたのだからそりゃあ誰にも会いたくないよな。

ここ埼玉県は私にとっては知らない土地。

誰にも会う心配がないから気楽でいられるのかも知れない。

それなのに殆ど外に出ないのは本来勿体無いことではある。

かといってスマホだけじゃ仕事になるわけもなく、今日も部屋に籠って活字と闘った。

そんなことの繰り返しで毎日朝が来る。

 

 

破壊から再生へ

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  • 作者:橋岡 蓮
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