一日だけ仕事をしないと決めたので、時間はたっぷりある。
郵便局まで在庫二十冊を抱えて歩いて行って少々疲れたが、時計を見たら十五時だったので半端だから仕事は翌日へ回そうと考えたのだ。
だから友川カズキを聴きながらのんびりこれを書いている。
休むのも仕事のうち。
仕事はとにかく疲れる。
何故かって、仕上がりのことを考えるからだ。
満足してもらうだけのクオリティに仕上げるために神経を使う。
私など座職だから、神経さえ使わなければそれほど疲れるはずはない。
だから体力云々ではない。
もう一つ例を挙げるとすれば、プレッシャーで疲れるのだ。
不安と焦り、それが物凄くエネルギーを消耗する。
つまり作業で疲れているわけではないということだ。
以前工場でルーティンワークをしていたことがあるのだが、それと同じで慣れてしまえばどうってことはない。
結局疲れるということはまだ不慣れなんだろうなぁ。
勿論のんびりしているわけにもいかないのだが、一日くらい休んだ方がいいだろう。
何をしようか考えたのだが、やはり頭の中には新作を完成させなければならないと云うのがある。
そこで手にするのは自分の過去作や先日買わせて頂いた詩集などだ。
過去作は文体や文字の使い方が未熟すぎるので、今は販売していない。
在庫はほんの僅か残っているが、販売することはないだろう。
しかし、ところどころ良いことが書いてあったりするので、上手く抜粋して今書いている物語に差し込みたいのだ。
私の貴重な体験、私の貴重な物語、これらを捨ててしまうのはあまりにも勿体無い。
絶望を味わったことがある人ってどれくらいいるのだろうか。
どん底に堕ちた者には希望が必ず待っているということを伝えたい。
そういうことが私の稚拙な過去作にはポロポロ書いてある。
そういう言葉は残して行かなければならないと思っている。
外は雷。
早めに郵便局へ行ってきて良かった。
この時間にこれを書いているということは夜ゆっくりすることができる。
私の友達にはお孫さんがいらっしゃる方が多い。
私には子供がいないので、その可愛さと云うものはあまりわかってあげられない。
ただ、私は祖父母から可愛がられて育ったので、なんとなくわかる。
先日友達と話をしていて、自分のお孫さんは実に真っ当に育ったと聞いたので、「私のような女にはならないで欲しいですね!」と言った。
私はとても孤独な子供で、若い頃はたった一人で悪いことも散々してきた。
しかし、グレたり捻くれたり根性が曲がったりすることはなかった。
今となっては、非常に真っ直ぐで素直で優等生みたいな女になった。
美人にはなれなかったし、四十歳を境に太ったのでシャープさが無くなったが、目の鋭さはまだ残っていると思う。
「ウチの孫は貴女のようにはならないよ!」と言われたので、「いやいや、結果オーライですよ!」と言った。
私の予想では、四十代半ばになったら少々痩せてきて、益々イイ女になるような気がしてならない。
だから今の自分はあまり好きではないけれど、歳を重ねることは怖くない。
なんてポジティブなヤツなんだろう。
何が言いたいかと云うと、人生って云うのは結果オーライ!
若い頃色々あったり苦労したりしても、結果が良ければそれでいいのではないだろうか。
私の場合なんて特に暗黒時代を生き抜いてきたけれど、今はそこそこ恵まれた環境にいる。
私の予想では、もっともっと将来的に幸せになれるだろうと思っている。
本が広まって、理解者も増えて行くだろう。
そうすると、今私が日々やっていることが生きてくる。
そして、願うことなら真実の愛を見つけられればいい。
もしかしたら私はそのために、毎日せっせと文章を書いているのかも知れない。
そんな人、私以外にどれだけいるのだろうか知らないが。