nakanakadekinai's diary

単なる日記でもなければ、単なるエッセイでもない

気付かなかったこと

気付いてしまった。

私という人間は、自分にとってのマイナスやプラスがわからないということに。

毎日こうして書いているとネタに困ることもある。

そんな時どうするかというと、日常で起こった出来事を包み隠さずそのまま書いてしまうのだ。

それを読んでくれた読者からすると、疑問に思うそうだ。

 

「何故、蓮さんは自分にとってマイナスになるようなことを公にするのだろうか?」

 

マイナス?

ありのままにオープンで、清々しいじゃないか。

私はそのように思ってしまう。

自分にとって何がマイナスになるかわかっていたなら、それは私じゃなくなってしまうような恐怖さえ覚えた。

確かに私には常識では考えられない部分が多々あるのかも知れない。

そう考えると、段々と怖くなってくる。

私は自分が感じたことを赤裸々に綴っているだけなのだが、それは傍から見れば恥なのか?

そもそも、私には「照れ」という概念はあっても、「恥」という概念はあまりないのかも知れない。

人前で身体中が震えるのは、「恥」を意識しているのだろうか?

また少し違う気がする。

 

 

人と違うと云えば、片付けというものができない。

パソコンの中も、机の上も、洗面台の上も、どうにもこうにもならないのである。

そのくせ、好きなことはとことん追求する。

それは文章にたずさわることだ。

書くことが好きだからこうして日々アップしているのだ。

そういうことには夢中になれるのに、社会人として当たり前にできなきゃならないことが、何一つできない。

一つ一つの動作もかなり遅い。

そりゃ、バイトもまともに務まらないよなぁ。

信じられないかも知れないが、昔、レジのパートをしていた時にこう言われたのを覚えている。

 

「こんなに仕事ができない人を初めて見た!」

 

そして私は過酷な鮮魚売り場へ飛ばされた。

どうやら販売は割と得意なようで、魚の売り子は務まった。

しかし、私はレジのパートを死に物狂いでやっていたのだ。

それなのに、そんな言われようだ。

なんせ、手先が不器用で動作が遅いので、周りをイライラさせる。

最近はあきらめたようだが、結婚当初は旦那も私のトロさが理解できなかった。

始終、八つ当たりをされて、その度に体調を崩していた。

恐らく旦那のみならず、読者はもっと私のことがわからない。

それで去って行く人もいるのだろう。

からしたら、ただ正直に書いていれば間違った方向には進まないだろうと思っているだけに過ぎない。

ところが、その正直さが裏目に出ているケースもあるのだろう。

私がそれに気付けないだけだ。

何の心当たりもないのに、去って行く人。

逆に、何もしてあげていないのに着いてきてくれる人。

世の中そんなものなのかも知れないが、できれば去って欲しくなかった人もいるわけで。

 

 

でも今更、私にできることなど何もない。

これからも自分に正直に書いて、自分というものを晒して行くのだろう。

きっと私には何かが欠けている。

だが、一体何が欠けているのかわからない。

もしかしたら障害を持っているのかも知れないとまで疑った。

だからと云って、治るものではないのだからこのまま生きて行くしかない。

勘違いしている人がいるようなので追記する。

私は文章で食べて行こうなどと考えているわけではない。

ただ、やれるところまではやるし、一円の金にならなくとも続けるという話。

会社員になって厚生年金をもらいなさいと言う人もいるが、私には務まらないのである。

適正の問題だと思う。

人間には適材適所というものがある。

私としては、この世の中で自分の居場所を見つけるのは難しいと考えている。

この際、人が離れて行くことはあきらめよう。

世間の評判のようなものも一切気にしない。

それくらい図太くなれればいいのだが、中途半端に繊細なので、いちいち傷付く。

ましてや、友達だと思っていた人から言われたら参るよな。