浅川マキを聴きながら、赤ワインとウィルキンソン炭酸を飲みながらパソコンに向かっている。
上手く書こうとしても書けないんだから、直球を投げる。
と言っても直球を投げれないから書きにくいのだ。
こういう時、上手くリードしてくれる人がいたらいいんだけどね。
はい、このお題、次はこのお題、みたいにね。
そう考えると私って主導権を握りたいわけではないのだと感じる。
根っからの昭和女なので、亭主関白は嫌いじゃない。
だけど絶対に譲れないことが一つだけある。
それは私のことが大好きであるということだ。
そこさえしっかり押さえてくれたら、主導権がどうのこうのなんてどうでもいいかも知れない。
私はこうして毎日強気な文章を書いているから強い女だと思われがちだが、全然そんなことないしね。
とにかくめちゃめちゃ可愛がられたくて、年上ばかり選んできた。
だけど、あまり関係ないかも知れない。
年上でもめちゃめちゃ可愛がってくれた人、いたっけ?
つまり、全てのこだわりみたいなものは捨ててしまうことにした。
女友達も、年上年下関係ない。
もっと言うならば、どれだけ悔しい想いや寂しさを感じてきたかであって、人間は年齢ではない。
やはり経験値から来る理解力と包容力で、大体は決まってしまうのかも。
いや~、それにしても自分のデータベースには情報は入れておいた方がいいよな。
自分がどんなタイプの人間か把握しておくことはとても大切。
データベースは人に言うものではないけど、私の場合はネタに直結する場合もある。
例えば、夢見る夢子、素直、真面目、とかね。
ゴロゴロ出てくるでしょ。
ちまたでは自分を知るためのツールが沢山あって、当たってるだの外れただの言って盛り上がっている。
そういうのを見ていてとても好ましいと思う。
そんな自分を顧みて、あぁ、私も女だなと思ったりする。
結局、私も普通の女。
それを友達に言ったら、いやいや、蓮さんは普通じゃないよ!と言われたのだが。
あまり料理はしないけど、この人には作ってあげたいと思う人がいればやる。
その辺の女子達のようにスイーツや甘い物には興味はないが、美味しいものが好きで、スキンケアグッズが好き。
チバユウスケを見てはカッコいいと思う。
これだけ聴けば普通なのだ。
しかしながら、私が生まれながらに背負っている運命は、誰かに指図されるものではない。
普通に幸せな家庭を作りたいけど、仕事で行けるところまで行きたいというのがある。
どっちか選ばなきゃならないとしたら、私ってどうするんだろうか。
ほらね、平凡平凡と嘆く人もいるけど、平凡に生きることは究極の姿。
私にとってこれほど難しいことはないと思っている。
一人でいた方が運が開けると言われたこともある。
だけど、貴女なら素敵な奥様になれると言われたりもする。
先日利用者さんと「すき焼き」の話になった。
「すき焼きは大勢で鍋をつつくから美味しいのよ。一人で食べても何にも美味しくないでしょ?」
そうだそうだ!
これから先、私は仕事に生きたら皆ですき焼きを食べるという楽しみを捨てなければならないのか?
これ、直球な質問。
正月にお節料理を囲んで日本酒を飲むという楽しみも捨てるのか?
家庭の愛情に飢えてきた私は、それなりに家庭への憧れがある。
しかし、何かを捨てなければ何かは入ってこない。
まだ観たことのない新境地には辿り着けないって話。
どうしてそんなに新境地へ行きたいのだろうか。
すき焼きやお節料理を楽しむ人生じゃダメなのか?
その答えは出ている気がするので、寂しくなるのかも。
この歳で「寂しさをバネに」なんて言ったら笑われそうだが。
家庭には愛と安らぎがある。
では、新境地には一体何があるというのだろう?