nakanakadekinai's diary

単なる日記でもなければ、単なるエッセイでもない

社会的な孤立

三度寝から起きたら十二時半を過ぎていた。

すこぶる眠たかったが、無理矢理起きて整骨院へ行った。

マツモトキヨシで粉末コラーゲンと、スーパーでサーモンの刺身と卵とひきわり納豆と角ハイボールを買って帰宅。

洗濯をし、パックをし、爪の手入れをして、笹寿司を食べてパソコンに向かっている。

腹一杯でめちゃくちゃ眠たい。

丸山健二氏の本を読もうと思っていたが、結局読めなかった。

休日の夜は早く寝たいが早く寝るのが勿体無い気もする。

かといって、休日はどうしても切ない遣る瀬無い気持ちになる。

モヤモヤして寂しい気持ちになるのはやはり一人で過ごしているからだろう。

やはり人と接することの大切さを痛感する。

友達がいて、家族がいて、近所付き合いがあって、同僚がいて、そんな当たり前の生活に憧れてしまうのも事実。

当たり前と云うのは人間にとって必要だからこそ『当たり前』と言うのかも知れない。

こうして静かにパソコンに向かう時間も必要だが、人と触れ合うからこそネタも生まれるわけで。

一人で家にいても何も浮かばない。

きっと私って人付き合いが苦手と言いながら、人恋しさは半端ないのだと思う。

しかし、今の私にはきっと誰も寄ってこないのかも知れない。

それが何故だかはわからない。

ただこれだけは言える。

自立できてなかった頃の方が周りに人がいたような気がする。

それで見下されてはいちいちキレていた。

確かに最近は馬鹿にされることはなくなった。

その代わり、近寄りがたくなったようだ。

あの頃も今も寂しさの度合いは大して変わらないのだが。

 

 

周りにうじゃうじゃと人がいる時より、今の方が結婚には向いているような気がする。

今だったら一人の人と、落ち着いて付き合えると思う。

ふと思うことがある。

SNSって云うものは、私にとって一体何なのだろうかと。

繋がっていたい人と繋がっているためだったのだが、SNSをやめたらその人とはどうなるのだろうかと。

私は基本的に、あまり個人的な遣り取りはしていない。

殆どの人とSNSでしか繋がっていない。

上手く言えないが、そのことについてたまに物凄く不安になったりする。

だからこそ会社の同僚を好きになったりするのかも知れない。

距離が近いからだ。

特別な存在に感じてしまうのだ。

もっと言うならば、出会えたことが運命のように思えたりする。

この人に会うために、今までの道のりや苦労があったのかと。

いや、そう思いたいだけかも知れない。

所謂一つの救いのようなものを求めているのだろうか?

 

 

一人で眠るのも、一人で飯を食うのも、いい加減に飽きてきてはいる。

きっと面倒に感じているだけで、抵抗感を捨てればなんてことないのかも。

多くの人はその面倒なことを『当たり前』のこととして受け入れているから人に恵まれるのだろう。

かといって無理に頑張って人付き合いするものでもない。

孤高を目指すべきなのだろうか?

嫌われている実感はない。

ただ、何もかもが遠くに感じてしまうだけである。

気づいたら一人遠くまで来てしまったのかも知れない。

そうか、旅の途中か。

ある種の『騒ぎ』から抜け出して、一人、生きると云うことを噛み締める時期に入ったのかも知れない。

だとしたら、きっと辿り着けるだろう。

安らぎの地。

何度も言うが、死を迎える前に平穏を味わいたい。

それってそんなに難しいことなのだろうか?

私にとっては永遠のテーマである。

神はなかなか叶えてはくれないが。

孤立していないように見えて、私は恐らく孤立しているのだろう。

危険なんだってば。

ストッパーがいないと云うことは。

まぁ、会社の人は友達ではないし、私も大人なんだから友達くらい自分で見つけなくちゃならない。

でも上手く行かないんだな。